【党文化の解体】第2章(11)「財産をもって道徳を量る重要な根拠とする」

2-5)財産をもって道徳を量る重要な根拠とする

 中国正史の初章を飾る 『五帝本紀』には、五帝の徳行とその徳行に対する一般民衆の述懐と尊敬が記載されている。そのような徳行は深く人の心に入り込み、数千年にわたって伝えられ、漢民族の土地から少数民族の地区とその他の国へと流入した。

 中国人の観念の中では、人は道徳と学識によって名声と地位を得る。孔子は 「大道が行われれば、天下は平等になる。賢と能を選び、信修睦を説く」といい、個人の人品は官僚を選定する重要な指標となった。漢代に試験制度が実行されるようになると、その選択基準は「徳行が高くて志操が清く、学問に通じて、経典に博識で、法令に明るく、疑惑を解くに足る(中略)」、その他にさらに備えるべきこととして、「質朴、実直、謙遜、倹約」の美徳が挙げられていた。

 魏晉時代に至って、官府で九品中正制が実行されるようになり、道徳は官吏を選抜するのに重要な要素となった。

 隋唐の科挙の試験にいたっては、儒家の道徳に対する理解の程度は、受験者がよい文章を書けるかどうかで判定され、官僚を選ぶ先決条件となった。

 中共が政権を執ると、徳が高く人望のある紳士、業界のリーダー、知識人などは鎮圧と攻撃の対象となり、個人が「純正な労働者階級」の出身であるか否かが、社会資源を獲得する際の重要な考慮事項になった。その一方で、人の道徳というものは、本来がその個人の思想行為で決まるが、中共に至っては道徳が階級の集団的な指標になった。

 「困窮な人に栄光があり、裕福な人は馬鹿を見る」と言って、貧窮が自ずと正確さと正義を代表し、圧迫されている側を代表し、「造反有理」を代表し、一番乗りで「革命」を徹底する

人間の貧窮と富貴は本来定かなものではない。もしかすると、汗を流して働いて、機会をつかみ金持ちになることができたかも知れず、または自分勝手にお金を浪費して家が亡びることがあったかもしれない。あるいは、ある人は本来田畑がたくさんあったにもかかわらず、数年後には乞食になっていることもある。

 しかし、中共は、政権を奪取したその瞬間から、階級を一律に区分してしまった。富貴に対しては仇とみなすようになり、中国人は数十年のうちに、貧窮をもって他人の資本を傲慢に眺めるようになった。

 別の一面では、中共がある人を打倒しようとするときは、その相手が地主あるいは資本家だと言えば良く、それ以上の多くの言葉は必要としない。

 富貴は 「搾取」と「弾圧」と「罪悪」を表した。ところが、数十年後、共産党は自ら世の中を覆して、多くの人々に金持ちになりなさいと叫んだ(※deng小平による改革開放政策)。そこで、今日の人々は却って富貴を罪悪とはしなくなり、転じて貧窮を恥と思うようになった。

 現在の人間の良し悪しや、成功したか否かは、道徳に沿っているか否かではなくて、人の富裕の程度で量られている。お金が沢山ある人は、能力があるということになり、そのお金が盗んで来たのか、奪って来たのか、不正に腐敗でわいろを受けたのか、身を売ったのか、あるいは魂を売ったのかということは全くお構いなしである。

 「貧乏はあざ笑っても娼婦はあざ笑わない」という考えが広まった結果、人々は手段を選ばず財産を集めるようになり、そのうちに権益を得た人となって、中共の統治に賛同するようになるのだ。

ことを表した。

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