【党文化の解体】第2章(11)2「財産をもって道徳を量る重要な根拠とする」

2-6) その他の批判された観念

 中共の批判は理性的なものではなく、いつも思想に対する批判を人身攻撃に変えてしまう。その後の「凡そ敵方が反対することは私たちが擁護し、敵方の擁護することは私たちが反対する」という歪曲した邪説は、批判者の思想を一概に罵倒するものだ。

 思想家に対する人身攻撃は非常に簡単で、「奴隷主階級」「地主階級」「資本家階級」「修正主義」 などのレッテルを貼りつけるだけですむ。

 中共は孔子を誹謗することを通じて、儒家の「中庸思想」「仁義礼智信」「克己復礼」「温良恭倹」 などを否定した。人々の多くはこれらの文字を見るとき、その元々の内包に思いを馳せることはなく、全国的な放送、天地を覆うかのような大きな濡れ衣、壁の掲示、さらには批判を受けた人の惨めな末路を目にして、これを通じて恐れが生じ、自覚的にこのような思想と明確に境界線を引いてしまった。

 儒家は「仁」を説いたが、これは他人に気を配ることだ。「己が欲せざる所を他人に施すなかれ」は、対して批判者には「己が欲せざる所を人に施せ」ということになった。

 中国人は「中庸」を崇める。「中庸」は中共が解釈しているような「あいまいさ」や、狡さ、二股、二面性などではなく、その本来の意味は、「常に中道を守る」というもので、天命を尊重して、「しばしも離れず」である。

 その中には学習博識の「広く学んで、詳らかに問うて、愼重に考えて、明らかに判断して、篤実に行い」があり、さらには「君臣、父子、夫婦、兄弟、友達」の間の関係をよく処理して、至極な徳に到逹し、それを全うすることが修身治国の道理だ。

 しかし中共は、「中庸」の本意を完全に歪曲し、自分を保護するために、原則的な儒家たちを見捨てたのである。

 (続く)

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