弟子規(28)【伝統文化】

待(Dài) 僕(pú) 婢(bì),身(shēn) 貴(guì) 端(duān);

雖(suī) 貴(guì) 端(duān),慈(cí) 而(ér) 寬(kuān)。

勢(Shì) 服(fú) 人(rén),心(xīn) 不(bù)然(rán);

理(lǐ) 服(fú) 人(rén),方(fāng) 無(wú)言(yán)。

【注釈】 
﹙1﹚待:向き合う。
﹙2﹚僕:僕、男の使用人。
﹙3﹚婢:女の使用人。
﹙4﹚貴:最も重要なもの。
﹙5﹚端:正直。
﹙6﹚慈:慈しみ。
﹙7﹚寬:仁が厚く、器度が大きい。
﹙8﹚勢:權力。
﹙9﹚服:服従させる。
﹙10﹚不然:納得しない。
﹙11﹚理:道、義、情に適合する理。
﹙12﹚方:それでこそ。
﹙13﹚言:議論。

【日文参考】

 家の男女の使用人に対するとき最も重要なことは、自身の言行を端正無私にし、かつ慈しみを厚くして度量を大きくし、苛めたり圧力を掛けたりしない。

 権勢をもって人を従わせると、人は必ず内心納得せず、後日に禍を遺す原因となる。道理をもって説得し、彼らが進んでやるようにすれば、不平や議論も起こらないものである。

【参考故事】

 楚の莊王は春秋五霸の一人であり、彼はよく諸侯を束ねただけでなく、その仁慈に厚い態度が群臣の忠誠を勝ち取り、それが国家強盛の基礎を築いた。

 ある日、楚の莊王は宮中で群臣らと大宴会を催したが、終日飲み続けて日が暮れても、まだ宴会は終わらなかった。すると突如として、蝋燭が全部消灯し、あたりは真っ暗になった。このとき誰かが王妃の衣服を引っ張ったので、王妃はその者の帽子のリボンを引き抜いて、荘王に言いつけた。荘王は報告を聞くと言った。「この席は皆に恩賞としてもうけたもので、彼らに礼を失することがあれば、それは私の不徳だ。もし今、誰が犯人かをはっきりさせれば、私の将兵を侮辱することになる。それでは話にならない」。そして、伝令に伝えた。「今日、私と痛飲して興じた者は帽子のリボンをとるように。とらなかったら、興じなかったという印だ」。宴会に参加した群臣らは百人を超していたが、皆が帽子のリボンをとって、酒に興じ帰っていった。

 それから約二年が過ぎ、楚国と晉国の間で戦争があったが、それは激烈を極め、毎度のようにある将軍が一身を顧みずに敵陣に突撃して敵を蹴散らしていった。荘王は彼を召して言った。「私に一体何の徳と才があって、君をそのように死地に追いたっているのか。私は君に特に目をかけているわけでもなかろうに」

 将軍が答えた。「あの宴会のとき、帽子のリボンを失くしたのはこの私だったのです。その罪は死にも値します。しかし、大王は私の顔を潰さなかったばかりか、命まで助けてくださいました。そのときから、私は大王に一命を捧げる決心を固めていたのです。敵陣に斬り込んで、大王の恩徳に報いようと」

(竜崎)

転載 大紀元 https://www.epochtimes.jp/p/2021/04/70990.html

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