弟子規 (25)【伝統文化】

(光武帝/ウィキペディア)
(光武帝/ウィキペディア)

己(Jǐ) 有(yǒu) 能(néng),勿(wù) 自(zì)私(sī);

人(rén) 有(yǒu) 能(néng),勿(wù) 輕(qīng) 訾(zǐ)。

勿(Wù) 諂(chǎn) 富(fù),勿(wù) 驕(jiāo) 貧(pín);

勿(wù) 厭(yàn) 故(gù),勿(wù) 喜(xǐ) 新(xīn)。

人(Rén) 不(bù) 閒(xián),勿(wù) 事(shì) 攪(jiǎo);

人(rén) 不(bù)安(’ān),勿(wù) 話(huà) 擾(rǎo)。

【注釈】
(1)自私:自己の利益だけを考え、他人のことは考えない。
(2)輕訾:軽易に他人を批評したり、誹謗すること。
(3)諂:人に諂ってとりいること。
(4)富:富んでいる。
(5)驕:驕り高ぶり。
(6)貧:貧窮。
(7)故:以前の、古くからの。
(8)不閒:暇はない、時間のない。
(9)攪:邪魔する。
(10)不安:精神が不安定な。

【日文参考】

 自分に能力があったら、自分のことだけを考えるのではなく、人を助けることも考える。人に才能があったら、それに嫉妬したり、人の悪口を言ったりしない。お金に困っている人に諂ってとりいったり、貧窮な人に傲慢な態度をとったりしない。古いものや古いつきあいを反故にして、新しいものや新しいつきあいをよろこんではならない。

 人に時間がないときは、小事を持ち込んでその人を邪魔してはならない。人の心情が不安定なときも、話をしすぎて彼を煩わせてはならない。

【参考故事】

 宋弘は、陜西・長安の人であり、漢の光武帝の時に朝廷で官僚を任じていたが、その所得した俸禄を親族に分け与えて、自分には何の資産もなく、品行が清いことで有名だった。

 光武帝とその姉である湖陽公主が朝廷の官僚について人物批評をしていたさい、公主が言った。「宋弘は懐が広く、その道徳は高尚、群臣の中でも彼の右にでる者はいない」

 光武帝はこれを聴いて公主を宋弘に嫁がせようと思い、後に宋弘を呼び出して言った。「俗に、身分が貴くなると友を換え、富有になると妻を換えるというが、これは人の情ではないか?」。これに対して宋弘は言った。「私がただ聞き及んでいるのは、貧賤の時に心が知れあった古い友を忘れてはならない、艱難を共にした妻を棄ててはならないということです」。光武帝はこれを聴いて得心し公主に言った。「とてもこの婚儀は成立できない」

(竜崎)

転載 大紀元 https://www.epochtimes.jp/p/2021/04/70967.html

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