【党文化の解体】第6章(2)

(イラスト・大紀元)

【大紀元日本11月30日】

1.互いに呼び合う「同志」

 中国人にとって最も熟知している「党話」は「同志」だろう。張同志、王同志、老同志、小同志、男同志、女同志、好同志、新同志、保護者同志、指導者同志、運転手同志、局長同志、ないし主席同志。更に映画とテレビの中の代表的なせりふと日常生活の中に中国人が慣れた言葉というと「同志、やっとあなたが見つかった!」、「同志たち、進め!」、「同じ戦線の革命同志」、「同じ塹壕の革命同志」、「○○同志に学ぶ」、「○○同志に敬意を表す」、「同志たち、ご苦労さま」などがある。「同志」がこれほど普遍的に使用されているため、その正体は共産党の「党話」だということが気づかれなくなっている。 

 中国の古典と熟語から「同志」が使われた痕跡が少し見当たるが、中国共産党によって一般用語として日常的に使われる「同志」という言葉は決して中国古来のものでなく、外来語の言葉である。調べによると、「同志」は英単語comradeに由来し、19世紀の社会主義者の間によく使われた。日本人が一番はじめにcomradeを「同志」と訳し、それから中国はこの言葉を取り入れて、志と信念が一致する(特に政治の面で)人同士の呼び方にした。19世紀末、「戊戌変法」を計画した際、光緒皇帝は維新派の大臣を「同志」と呼んだ。同盟会および同盟会メンバーが創立した国民党の中では、「同志」との言葉が比較的に広く使用された。しかし、当時、国民党内部で使われる時それを特定な呼称用語でなく、普通の名詞として使われた。当時の呼称は依然として「先生」、「女史」などが使われた。例えば:「張さんは我々の信頼できる同志です」。 

 1920年、毛沢東、羅学瓚などが手紙を書く時に「同志」を使い始めた。1921年、中国共産党「第1期大会」に「当党の綱領と政策に同意して忠誠的な党員になりたい者は性別、国籍を問わず、党員1人の推薦があれば、当党の党員として認め、私たちの同志になる」と定めた。中国共産党は正式公文に「同志」を使うのはこれがはじめて、それにこの言葉に新たな意味を与えた。1923年以降、中国共産党内部およびと海外の共産党と労働者組織の間に、互いに「同志」と呼ぶことが増えていった。 

 中国共産党が政権を取得した後、「同志」は中国本土の隅々まで普及された。中国共産党の指導者は1959年に皆が互いに専ら「同志」と呼ぶように指示した。1965年12月14日、中国共産党中央は通知文を出して、党内ですべて「同志」と呼ぶことを命令した。実際にこの呼び方は党内にだけでなく、中国国民の一般的な呼び方となり、そしてこの呼び方を相手の名前ないし役職の後ろに置いて、最もよく使用される呼称となった。例えば:「張同志が忠誠で信頼できる」、「部長同志」、「工員同志」、「女子同志」など。 

 これで中国伝統社会における人間同士の付き合いの中の呼称が消えて、すべて「同志」になってしまった。しかし、これは共産党と同じ「志」である。「同志」との言葉は中国人の自然的属性を抹消して、代わりに「集団」、「党派」の性質を与えた。この呼称は明らかな派閥の意味合いを持って、中国共産党のイデオロギーと「革命」の目標に同意し、共産党の指導に従う人は同志と見なされる。互いに「同志」と呼ぶことで「革命の隊列」の中の平等と親切が実現できると中国人が無邪気に思うが、逆に「同志」の呼び方は国民の自由な意志を奪って共産党の道具にさせたのが事実で、平等に見える表の裏に深刻な格差が隠れている。「毛沢東同志」の裏に絶対的な権威が隠れて、「小平同志」の裏にすべてをリードする地位が隠れて、「江沢民同志」の裏に陰謀家の急出世が隠れている。中国共産党幹部は民衆を平等的な「同志」として扱ったことが一度ぐらいあっただろうか?

(イラスト・大紀元)

中国は古来から呼称において決まった規則がある。『論語・顔淵』の記載によると、斉の景公が政治の要道を孔子に尋ねると、孔子は、「君たる者は君としてなすべきことをやり、臣たる者は臣としてなすべきことをやり、父たる者は父としてなすべきことをやり、子たる者は子としてなすべきことをやるのがよい」と答えた。

 『論語・子路』の記載によると、子路が「衛の君主が、先生をお呼びして政治を任されたとすると、先生はまず何を先にされますか」と孔子に聞くと、「きっと名称を正しく定義するだろう」と孔子は言った。「名称が正しくなければ、話の筋道が通らず、話の筋道が通っていなければ政治は成功しない。政治が成功しないと礼楽の文化様式は振興せず、礼楽が振興しなければ刑罰が公正でなくなってしまう。刑罰が公正でなくなってしまえば、人民はどうすればいいか分からなくなってしまう」と言った。 

 中華の伝統思想では、適切に命名することは国家と社会を管理することの出発点と見なされる。適切な呼称(五倫:君と臣、父と子、兄と弟、夫と妻、友達)は人間を自然的な社会関係の中に置いて、人間の行為規範を作った。 

 言葉は思想の外在の現われだけでなく、実在の物質を造りだすこともできる。中国共産党はこのように、自然倫理をもとに作られた中国伝統社会の呼称を廃止することによって伝統の宗法制度をも廃止して、もともと社会秩序の中の一員である個人を無秩序の社会の一人にさせた。 

 (続く)

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