【党文化の解体】第6章(4)

思想と認識を統一させ、常に党中央と高度な一致を保つ(イラスト=大紀元)

【大紀元日本12月9日】

2. 典型的な「党八股」用語
 1)会議精神、路線、認識、思想報告――中共邪教が国民の精神を統制する手段

 「○○会議の精神」を伝達させることと理解すること、「認識を統一する」、「○○路線を続ける」などの用語は、正常な社会に暮らしている人にとって不思議な言葉である。社会にいろいろな人がいて、身分、地位、理想、信仰、趣味も異なっていて、どうしてみんなが同じ「路線」を歩まないといけないのか? どうして「認識」を統一して「○○精神」を伝達させ徹底させないといけないのか? 中国古代の儒家に『君子が和して同ぜず」と言ったのも、西洋のことわざに「すべての路はローマに通ず」と言ったのも、包容があって異なる意見と選択を尊重してこそ、社会ははじめて多彩多様になる、と言っているのだ。 

 中国共産党は絶えずに立場と原則を変えて、歩んだのは直線ではなくて曲線と円そのもので、ころころ方向を変えて、ないし何度も原点に戻ったりしてきたが、どんな時でも中国共産党は自分が唯一正しい「路線」を代表していると公言する。中国共産党の「路線闘争」が命がけで、食うか食われるかほど残酷非情で且つ汚くて、「反対路線」の追随者は悲惨な結末を迎え、「正しい路線」を続けた者は得意満面になる。 

 中国共産党の路線闘争が終わる度に、勝利派閥は必ず失敗した派閥が「○○主義」の過ち、例えば左翼的、右翼的、左派、右派などを犯したと宣告する。要するに、いずれ勝利の派閥だけが「社会主義の大通り」に歩んできたことになる。一般庶民にとって、彼らの役目は「思想を報告して」、「認識を高めて」―最後に自分の独立した人格を捨てて本当の考えを隠して、「路線闘争」に勝利した派閥についていこうと決心して、共産党に忠誠心をアピールすることだけである。 

 普通、人々の考えに分岐があるとか、もしくは多くの人の協調が必要とされる時に会議を開く必要がある。会議で人々は意思疎通を行って共通認識を達成して、決議を生み出して、会議が終わった後に決議案のとおりに仕事を進める。会議で意見が統一できなかったら、最後によく投票の形で決定案を出す。投票で生み出した決議案は各方面の妥協の結果でもある。どの方面も決議結果に満足するとはかぎらないが、これも民主的な議論方法の必然代価であり、会議の参加者もこの点を理解している。一方、「会議の精神」はこれと違う。「会議の精神」は会議が始まる前にすでに存在して、「党中央」、「党の上級組織」の意思を代表して、会議参加者の意見と関係がない。会議に参加する人はただ会議の「精神」を「理解して、伝達させて、執行して」、「会議の精神」に質疑したり挑戦したり反対したりすることができない。会議の参加者は操つり人形で、人形の線を引いているのは背後に隠れている中国共産党ほかならない。もし人々に異なる意見があれば、「認識を高めて」、最後に「思想を統一して」、中国共産党のコントロールに従わないといけないのだ。 

 党文化の中で上述の言葉は繰り返し使われて、強引に人々の日常用語彙に入って、最後には人々の潜在意識に条件反射のような存在となり、それによって人々はいつの間にか自由な思想を失っても自覚しない。 

2)指導者、「単位」、組織、身上調書、政治審査、戸籍――厳密に国民を監視する組織

 今時の流行語に「指導者」はよく「女房」を指す。迷う時に、「この事は家に帰ったら指導者の指示を仰がなければならない」とよく耳にする。この言い方は党文化の中に「指導者」の特殊な意義を反映している。正常な社会にも「指導者」がある――例えば社長、支配人、マネージャーなど。しかし、彼らの管轄範囲は業務内容に限って、指導者に逆らった最悪の結果でも解雇にすぎない。しかし、党文化の中で、「指導者」の管轄範囲はずっと大きいもので――「女房」が管理できるほとんどの事に「指導者」も口を出せる、「女房」が管理できない事にも、例えば役職の評定、賃金上げ、結婚、離婚、出産、子供を保育園に預けることなど、「指導者」が決定権を握っている。指導者を逆らったら解雇されるほど簡単でなく、「やっつけられて」、恥をかけられ同僚の前に頭を上げられなくなって、またやみで身上調書に不利の資料を入れられてどこに行っても一生それにつきまとわれて逃れられない惧れがある。 

 「指導者」になぜ何でも管轄できる権力があるのか? 中国共産党の統治の下、国民は「単位」の中に生活していることが主要な原因となる。生、老、病、死、衣、食、住におけるほとんどのことを「単位」に頼って、もしくは「単位」に証明書を発行してもらわないといけない。「単位」の中に誰もが1冊の神秘な「身上調書」が作られ、学生時代からのすべての履歴が記録されて、政治上の賞罰から「不正な男女関係」まで細く記録されている。他の「単位」に異動したい場合、新しい「単位」から「受入書」を出してもらわなければ異動ができないが、たとえ「受入同意書」があっても元「単位」の「指導者」が異動を賛成しない場合、「身上調書」を新しい「単位」に移送しないかぎり、異動はできないことになってしまう。最も恐ろしいことは、普通の人は「身上調書」を見る権利がなくて、「単位」の「指導者」が、自分の「身上調書」にどんな書類を入れているかを永遠に知るようがない。

 「身上調書」と深い関係にある「政治審査」ということがある。「政治審査」とは、「指導者」が従業員の過去すべての社会活動の記録を調べることを指す。必要があれば従業員の元「単位」まで行って綿密に調査することもできる。従業員に昇進させ、もしくは重要な仕事を任せる前にその「忠誠心」を考量するのは「政治審査」の目的である。

 「単位」により、共産党は「単位」の「指導者」を統制することによって、「単位」にいる全従業員、ひいては社会全体を簡単に統制できるようになった。 

 「単位」に駐在する中国共産党の代行機関はいわゆる「組織」というものだ。共産党のいわゆる「革命の歴史」を題材にした映画には、主人公はよく感激の涙が目にあふれて「やっと組織が見つかった!」と言う。今の中国人は冗談を言う時にもこのセリフをよく言うのだ。「組織と連絡を取れない」ことはとても恐ろしいことで、「困ることがあれば組織に助けをもらう」とは中国人の問題解決の思考である。「組織を信じて共産党を信じる」、「組織が出した結論」、「組織は必ずはっきりとしてくれる」などは中国人が自分を慰める時よく使う言葉である。「組織的」との言葉はよく「計画的、予定的」と一緒に使われる。「法輪功は組織的なものなのだ」という言い方は判決時に罪名としても使われる。「組織からの」とは最高の指導権を意味している。「党組織」は敵を討つ時の指揮部門とされて「強靱な戦闘の堡塁」である。帰属感、孤独感、安全感、不安感、信頼感、絶望感、崇拝心理、犯罪感など、すべて「組織」という言葉に注入された。「組織」のメンバーは一人一人の「同志」で、共産党は社会を「単位」に区分して、それで「組織」が社会全体にとりつくことができたのだ。 

 それ以外に、中国共産党はまた「戸籍」を通じて社会全体を統制している。「戸籍」、「一時住居証」は大体西側諸国の「グリーンカード」、「短期就労ビザ」に相当するが、制限の対象は外国人でなく自国の公民である。『世界人権宣言』(その第十三条に「誰でも自国の境界内に自由に移動と居住する権利を保有」)を署名した中国共産党政権にとって、これ以上ない皮肉となるだろう。 

 要するに、「指導者」、「単位」、「組織」、「異動指令」、「異動」、「身上調書」、「政治審査」、「戸籍」、「一時居住証」など一連の党話の言葉は、中国共産党の厳密なカルト組織の統治下に置かれる中国人の生活実態を反映していて、また「普天の下の土地はいずれも共産党のものだ」、「体制の外」には活路がないことを語っている。伝統の中国社会ではたとえ上司に嫌われても、官職を辞めて田舎に帰って自給自足の生活をまだ送られるし、たとえ皇帝に嫌われても名前を隠して地の果てまで亡命もできるが、中国共産党に厳密に統制される社会では、「単位」、「異動」、「身上調書」、「戸籍」などはそれを全部不可能にさせている。今日、「単位」、「異動」の言葉は次第に人々の生活から消えていたが、党文化が作り出した考え方は人々の頭に深く残っている。例えば、「共産党と対立するとろくなことはないぞ」、「共産党が私にご飯を食べさせている」、「共産党が私を×××に育て上げた」など。 

中国共産党の独裁下に置かれて、各層の党委員会、戸籍制度、個人の身上調書、住居町内委員会に束縛される中国人(イラスト=大紀元)

(続く)

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