【党文化の解体】第4章(14)

【大紀元日本5月13日】

4.党文化がなければ、もはや正常な話し方や思惟ができなくなっている中国人

 今日の中国人は、もし党文化がなければ、もはや正常な話し方や思惟ができなくなっていると言ったら、これは言いすぎで中国人を「侮蔑」しているだと思う人がいるかもしれない。しかし、残念ながら、これは事実だ。なぜならば、党文化の種々の理論、言葉の表現体系と思惟方式は既に人々の思想の隅々までに浸透してしまったのである。

 中共による五十何年(本書編集当時)の統制の中で、各種の洗脳手段を通して社会全体が党文化によって構成された環境となり、耳目がこれに染まった。これと同時に、伝統的文化と伝統的観念を否定し、儒(儒教)・釈(仏教)・道(道教)を批判した後、中国人は無神論、唯物論、進化論と闘争の思想を受け入れ、党文化に基づく中国人の一系列の思惟方式と善悪基準を作り上げた。中共のロジックは民衆のロジックとなり、中共の言葉が民衆の言葉となり、この種のロジックと言語は却って人々の思想を強化してしまう。党の話し方が一般民衆の日常会話となり、人々の日常生活の中へ融け込み、根本的には党の意志が人々の心の中へ融け込んでしまった。人々は話しをするとき、習慣となってしまった党文化の考え方が自己の思惟であると思っている。

 そう言った類の話し方、行い、思惟方式の内在的変異的な含意は、中共により強制的に植え付けられたものである。正常な社会の表現の方式ではない。党文化の洗脳を受けない人にはそのようなものを理解できないし、その内容も読めないのである。この種の強制的に植えつけられた党文化の話し方、行いと思惟方式が全面的に社会の至る所にあふれている現象は、中国の伝統的古代の社会においても、現代の主流社会においても現れることはなかったのである。そのため、中共の統制下の人々の言語、行いと思惟方式は中国の伝統社会、世界の主流社会の価値観と相反するものとなっている。中共の指導者の外遊時の話し方や行為は、西側から見れば、不可解で仕方がないのである。

1)人々の思想を統制する党文化の言語体系(前半)

 所謂「党の話し方」は、「系統」的に今日の中国人の生活の中に存在している。自然の言語的体系と異なるのは、党の全てが一つの人為的な「暗黙な約束」された政治的言語体系を作り上げたことだ。この種の政治的言語体系は、正常な社会の中で自然に形成された生活、思想と言語による交流の内容に取って代わり、中国人は「党の話し方」が作り上げた社会構造の中で生活せざるを得ないのである。

 中共が政権を収奪した後、「人民」と言う言葉は恐らく最もよく使われてきた単語の一つであろう。政府は「人民政府」と称される。軍隊は「人民軍隊」、貨幣は「人民幣」、道路も「人民路」と呼ぶほど。このほか、「人民ラジオ」「人民広場」「人民公園」「人民医院」「人民銀行」……全ての共産国と同様に、至る所の各種施設、機関、団体は、「人民」と言う文字を冠されれば、個々人の一切の利益、権益はまるで具体的な形で実現され、これ以上の精力を費やす必要はもはやないと暗示しているかのようであり、同時に、「人民」という神聖な冠むりで装飾されると、大衆たるものは、一体誰が本当の「人民」なのかについて戦々恐々の思いをさせられるほどである。

 次のようなジョークがあったと言う。二十世紀七十年代に、ある人は「人民商場」(商場はスーパーの意味)へ買い物に行き、「人民接客営業員」の態度は粗暴であって、顧客は「このような態度で人民のために服務していると思っているのか」と詰問したところ、答えられたのは、「人民のために服務する?あなたは人民を代表できるか」である。顧客は茫然としていた。

 当然のこと、同様な場面は「人民政府」「人民警察」とのやり取りの中でも発生する。中国においては、「人民」は法律上による定義は定められていないが、中共の党文化の中で、「人民」は特殊の含意をもっている。ここでは、中共だけが「人民」を代表し、「人民」になるもの、ならないものを定めることができる。この場合、後者になったら、所謂「人民の敵」と決め付けられる。法的な手段を取らずにそれらの権利を奪うことができる。彼らは通常別の特定の称号「一小撮」(一撮みの連中)と冠される。時にはこの「一小撮」は何百何千万人に上るが、たとえば1957年に中共に意見を出した所謂「右派」たち、1999年以後も法輪功を堅持する人たち等等。「人民」と言う言葉は中共が作り出した言葉ではないが、党文化の中でこの言葉は特定の含意が植え付けられ、人々は各種の場面で習慣的にこの「人民」「一小撮」などの言葉を使うときに、既に中共の勝手気ままな「人民」の決め付けや、中共の意図による政治的分類を無意識的に認めることとなっていったのである。

 この類の党文化的用語は生活の隅々までに浸透している事例は数多く存在している。たとえば、中共が政権を収奪してから二十世紀末まで、学生が学校から卒業してから、すべてが「配属就職」されることとなっていた。「配分」と言う言葉は、すなわち、党が支配権を持っているということだ。そのため、多くの人は無意識的に自分の飯の種(職業)は党からの「賜物」であり、自己努力により獲得したものではないと思い込んでいる。特に多くの警察が中共に追随して民衆を迫害するときによく堂々と言っているのは、「共産党が私に飯の種をくれたので、私は共産党の言う通りにしなければならない」というものだ。

 「党の話し方」の体系は党の意識形態、党の意志、党の運行実施の媒介と道具である。中共は一切の国家手段と国家機能を利用し、党の言語体系を作り上げ、規範し使用させる。全ての標準的言語を作り上げるための機構―世論媒体(メディア)は政府によって独占され、同時に中共の独自の宣伝機構である所謂中央宣伝部及びその付属宣伝系統、幹部養成と組織生活系統、中央及び各級の党校(共産党の幹部養成学校)など思想教育機構を配属させる。かねてから、新聞、公文書、公式講話、学校の教材は全て統一的に「党の話し方」を伝播する制度的方式となる。数多くの政治的運動の中で大量の新語を作り上げた。各級組織は率先して民衆と一緒にこれら言語を使用し、且つ日常生活の中へ溶け込み、これらは党の伝統、党文化の基礎となる。文芸、映画、ラジオ、演劇を規範し、党文人、党文化の模範を樹立し、「党話」の標準化を推進する。筆禍事件の恐怖作用は巨大で持続的である。「党の話し方」の体系を作り上げた後、中共は立法を通じてその言語体系の合法性を樹立する。これらは全て、「党の話し方」の体系が中国人の言語の主導的地位をもたらした理由である。ほぼ全ての中国人は、必要であれば、不用意に非常に標準的な「党八股」(八股文に擬して共産党が使用する形式主義式な話し方)を大量に口から滑り出すことができる。

 「嘘も百回言えば真実になる」。この表現は決して修辞的な意味だけではない。人々は皆「党八股」を嫌うが、しかし、中共の公文書、講話、報告、総括、新聞の社説、大・中・小学校の教科書、ニュース、テレビ、映画等に大量に重複されているのは、正しく中共が作り上げたあれらの「党の話し方」である。「党の話し方」は人々に嫌われているからその作用が発揮できなくなっているわけではない。その反対で、「党の話し方」はある種の言語記号として、人々の無意識的の底に蓄えられ、随時その作用を発揮し、人々の思想や行いを左右するのである。

 次のような故事があると言う。ある中国人のコックがいて、その家族が共産党によりひどい迫害を受け、幸いなことにアメリカのカリフォルニアへ移民してきた。レストランの厨房の中で肉を捌くとき、包丁を舞いながら鼻歌を歌って、かなりの有頂天である。しかし共産党に対してひどく憎悪するはずのこのコックが歌っている鼻歌はなんと、「毛沢東の本は、私が最も愛読している、千遍万遍熟読して刻苦精励した」である。他人が注意したら、このコックさん自身も泣けず笑えずどうしようもない顔をしていた。人々の思想の中であまりにも多くの党文化のものと「党の話し方」が植え付けられたので、既に人々の思惟や話の中の一部となってしまったのである。

 (続く)

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