【党文化の解体】第3章(17)

【大紀元日本9月1日】

3.邪党の文化人を利用して悪党を賛美する
 1)文学作品で中共の理論と政策を解釈

 中国現代史を通読すれば容易に発見できることだが、中共によって発動された政治運動は、毎回一部の文芸作品または文芸思想の潮流に対する批判から始まっているのである。

 40年代の整風運動は王実味の「野百合花」が口火を切ったもので、50年代の一連の思想改造運動は、映画「武訓伝」に対する批判、「紅楼夢研究」と所謂「胡風集団」から始まり、文化大革命では呉晗が新たに編集した歴史劇「海瑞罷官」を用いて旗揚げされた。テレビドラマ「河殤」への批判は、「六四天安門」鎮圧後の思想粛清の重要なプロセスとなった。

 他方、中共に跪く文化人は中共の指揮棒に従って舞い踊り、文芸作品を利用して中共の理論と政策を吹聴し、それぞれの時期における中共の政治的な需要を満足させた。

 中共の「土地改革」(地主の土地を剥奪する)と後の「合作化運動」(全農民の土地を剥奪する)の需要を満たすため、文化人たちは「暴風驟雨」、「三里湾」、「創業史」などの作品を創作し、中共による政治運動中の残酷な殺人と間引き、憚ることのない家宅捜査や強奪行為を隠蔽した。国民党を捻じ曲げるため、中共は自ら勃発させた内戦を「解放戦争」だとして粉飾し、文化人たちは「林海雪原」、「保衛延安(延安を護衛)」、「紅岩」などの作品を創った。また「抗美援朝」(朝鮮戦争)を美化する必要があったため、文化人たちは「誰是最可愛的人(誰が一番かわいい人なのか)」を創った。中共が資本家たちに対する「和平」改造を説明する必要が出てくると、文化人たちは「上海的早晨(上海の朝)」を創った。中国人たちが共産党を「選択」したのだと喧伝する必要があったので、文化人たちは「赤旗譜」を創作した。中共が「プチブルの知識分子」を「ガチガチのマルクス主義者」へと仕向ける必要があったので、文化人たちは「青春之歌(青春の歌)」を創った。中共は「大躍進」を美化する必要があったので、民を欺く膨大な偽歌が全国で躍進した。

 ある人は、中共が放映した法輪功を誹謗中傷するテレビドラマを見て言った。「このドラマを見て、なぜ法輪功が禁止されたのかがやっと分かった」。言外の意味では、もしこのドラマを見なかったら、どうして法輪功を禁止したのかまったく分からないということだ。中共の文芸的捏造は、その「政策の正当性」の根拠となり、世論注入がこの最も新しい鎮圧運動の中で如何に取って代わることのできない作用を果たしているかがわかる。実は、歴史上で中共が「搾取階級」を消滅しようと煽動したときも同様の手法であった。たとえ人々の生活の中で、地主(普通の土地所有者)の大多数が勤勉で誠実、公益に熱心な道に篤い人だとしても、中共の一方的な注ぎ込みにより、地主と言っただけで人々が思い浮かべるのは、周扒皮、劉文彩、黄世仁、南霸天のような強欲非情な人であり、これらは芸術手段を用いて捏造した地主のイメージなのである。中共はかつて占領区で将兵を教育するために歌舞や演劇を用い、兵士の多くが「白毛女」などの演劇を見て、「階級への敵愾心を燃やし、復讐の炎に燃え」(周揚語)、中共の教育により「覚悟のある無産階級の戦士たち」になったのである。

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