【党文化の解体】第2章(10)「柔順さと忍耐を批判する」

「わが党は一貫して正しい。六四天安門事件の路線で前進!」
(イラスト=大紀元)

2-3) 柔順さと忍耐、譲歩の道徳観を批判する

  「柔順貞正は、君子の行うところなり」。易経の坤の卦では大地を描いている。大地には「柔順」の徳がある。この種の柔順さは、決して原則なしに外圧に堪えるのではなく、天道に順応して行うものだ。「柔順」 の中には、「忍耐」の徳が含まれており、「一時を忍べば風は穏やかになり波は静まり、一歩退けば天は広々と望める」というものだ。

 韓信の股くぐりの故事はすでに2000年も伝わっており、それは、中国人の「忍」に対する崇拝の現われである。ところが、中共はこれとは反対に闘いを吹聴する。「共産党の哲学は闘争の哲学だ」「他人が私を犯せば、私も必ず人を犯す」というものだ。問題を解決する方法は、交渉や対話に頼るのではなく、暴力と弾圧に頼りながら、敢えて報復することを勇敢であると描いている。

 蘇東坡はかつて次のように言ったことがある。「侮辱を受けた後に直ちに剣を抜いて他人を攻撃するのは、匹夫であって、まったく勇敢とはいえない。本当に勇敢な人は、突然の攻撃に直面した時でさえいつも落ち着いていて驚かない。たとえいわれのない侮辱に遭っても、自分の怒りを抑えることができるものだ」。

 これは、彼の胸襟が広くて大きく、修養を積んでおり、志が高いからだ。 「忍」は伝統文化の中では、自制、寛容、他人の過失を咎めないことであって、決して気が弱いとか無原則に譲歩するということではない。

 ところが、中共の主張する「人が私を犯せば、私も人を犯す」は、実は度量が狭くてちょっとした恨みでも必ずやり返すということだ。これは「闘争」の精神と同じである。この思考回路によって、人々は社会で互いに恨み合い、互いに敵となった。これは、今日の人間関係が緊迫していることの重要な原因の一つでもある。

 中国人は、乾を剛、坤を柔だと見なし、剛の中に柔、柔の中に剛を融合させれば万物がよく栄えるとして、これを調和の道だと悟っていた。伝統的な観念の中では、「和」を大変に重視しており、皇宮の三大殿は、それぞれ「太和殿」、「中和殿」、「保和殿」と呼び、調和と睦まじさに対する崇拝を反映していた。

 中共のスポークスマンも今、「対話」「交渉」「協力」 などを常々口にしているが、このような戯言は弾圧の口実にしかすぎない。

 最近では、汕尾事件、漢源事件、陝北油田事件、さらには直訴者、土地を沒収された農民、強制移住させられた民、失業労動者に対する残酷な弾圧は、実は闘争精神の連続で、屠殺をして「調和社会」を造っているのだ。

 また、闘争はすでに中共が存続し続けるために依拠する主要な柱になっており、本当に対話と和解などを求めたら、中共自身が解体してしまうに違いない。

  「わが党は一貫して正しい。六四天安門事件の路線で前進!」
(イラスト=大紀元)

2-4) 伝統的な社会秩序を批判する

 中国人は天尊地卑の自然の状態、および 『易経』の中の乾坤と陰陽の対応を家庭と社会の倫理にまで発展させ、この倫理の中から社会秩序を派生させた。「尊卑」は中国の伝統的な観念の中で重要な部分だ。正統文化によれば 、「卑」は必ずしも悪い事ではない。

 道家はこれまで一貫して水の美徳を崇めてきた。なぜなら、水は総じて下に処するからだ。「下にいる方」は、愛護され保護される方で、上にいる方は持ち出す方だ。男は強く女は弱く、男は剛で女は柔であるが、剛強であることが必ずしも良いこととは限らず、道家では「兵強くして必ず滅し」「木強くして必ず折れる」といい、「柔よく剛を制す」と説いた。

 中共はこれまで秩序を乱し続けながら、全ての人が平等な社会を打ち立てるなどと吹聴しているが、社会には中共が意味する平等などは存在しなかった。

 社会生活の中で、一国家、企業、社会団体、あるいは家庭でも常にある責任が仕事を引き受けて、ある人が計画を提出し、ある人が具体的にそれを執行する。これは正常な社会の状態であり、またそれぞれの人の知力、体力など総合的な要素によって決まるものだ。

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