≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(11)「裏切られた期待」

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(11)「裏切られた期待」

私は次第にそこの生活に慣れました。入学して間もないある日のお昼、食事(昼ごはんは学校が先生と生徒のためにまとめて作ってくれる)が終わってグランドで縄跳び遊びをしていると、突然深緑色…

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≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(10) 「裏切られた期待」

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命

 それからしばらく経って学校が始まり、私は毎日小道を通って山の麓にある学校に通うようになりました。  学校はレンガ造りの平屋で、広い運動場がありました。運動場の両側が中学部で、東側…

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≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(9)「裏切られた期待」

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命

大人の人にとって「何とかして生きていく」ということが何を意味しているのか、8歳の私には分かりませんでしたが、私たちが中国の辺鄙な田舎に来ていることは確かでした。そして、「何とかして…

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【伝統文化】【推心置腹】 誠心誠意を持って人に接すること

山水伝統文化

 中国西漢の末年、王莽(おう・もう)は当時の王位を簒奪し「新朝」を創り皇帝になった。王莽は政策の改革を行なったが、煩瑣で厳しい政令で人々の生活はさらに困り苦しんだため、新朝政権を覆…

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諸葛亮が子孫に残した家訓【伝統文化】

諸葛亮(しょかつりょう)の一生は、克己(こっき)奉公したもので、後世の人の手本となった。彼は、自分の子女に遠大な志を持つことを教え、54歳のときに8歳の息子の瞻(せん)に有名な『誡…

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≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(8) 「裏切られた期待と開拓団での生活」

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命

第二章 裏切られた期待と開拓団での生活  私たちがバスから降りたとき、目に飛び込んできたのは、一面の荒れ果てた山と野原でした。3月の黒龍江省はまだとても寒く、地面もまだ凍っていまし…

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≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(7)

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命

私たちは、羅津市を離れてからは、暴風雨に遭うこともなく、好天に恵まれ、さらに2日間船旅が続きました。そして、三日目の午前、中国東北部の大連市のそばにある旅順港に到着したのです。  …

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≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(6)

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(5)

私たちが父と一緒に船に戻ったとき、母はもう弟の力を寝かしつけ、みんなの布団を敷いてくれていました。しかし、私はもう全く眠くありませんでした。おそらく、ここ数日間、荒波の船上で寝てぱ…

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