≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(14)「父との永遠の別れ」【伝統文化】

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(5)
著者の父(写真・著者提供)

第三章 嵐の訪れ:父との永遠の別れと苦難の逃避行

 父との永遠の別れ

 1945年8月、稲妻と雷が激しく交じり合う嵐の夜、風雨がガラス窓を強く叩き、大きい音を立てて響き渡っていました。

 私の人生において、嵐は特別な意味を持っていたようです。当時は、自分がまもなく、母が話してくれた物語の中の主人公のように、いろいろな危険や苦しみを経験することになろうとは考えてもみませんでしたが。

 今でもはっきりと覚えているのですが、その夜、私は雷の大きい音で目が覚め、怖くなって、母が寝ている部屋へ行きました。ところが、私は目の前の光景に驚きました。父がスーツを着て、母に向かって正座していたのです。とても大切なことを話していたようで、二人は私が部屋に入ってきたことすら気がつきませんでした。

 私がもっと詳しく話を聞こうと思ったとき、父は突然両手を膝の前につき、頭を深々と下げて床に付けたまま、母に向かって厳かに、「家のことを頼む。必ず子供たちを日本のお母さんや圓子のところに連れて帰ってくれ。本当にすまない。他にどうしようもない。全てお前に頼むしかない」。

 母は目に涙を浮かべながらも泣きませんでした。そして、ただ一言父に、「大丈夫です。子供たちの心配は要りません。子供とお母さんの面倒は私が必ずみます。あなたこそ1人なんですから、体を大切にしてください」とことばを返しただけでした。

 父は頭をあげると、私が部屋の入り口に立っているのに気が付き、私のほうに手を伸ばしました。私は急いで父の胸元に飛び込み、泣き出しました。でも、そのとき父は、普段にない厳粛な口ぶりで私に、「正子、お父さんは兵隊に行かなければならない。帰ってこられるかどうか分からない。今日上層部からの命令があり、今から出発する。おまえはここでは一番年上だし、お母さんは赤ちゃんができた。それに弟たちはまだ小さいから、これからはこれまで以上にお母さんの手伝いをし、弟たちの面倒を見てほしい。おそらく、これからますます、日本にとっては不利になるだろう」と言いました。

 父はしっかりと私と母を見つめ、「お前たち親子も無事に日本へ戻れるどうか、分からない。でも、どんな困難があっても、決して『希望』を捨ててはならない。必ず強く生き続けるんだ」と言いました。このことばは母に言ったのか私に言ったのか、分かりませんが、私はそれを聞いて、急に泣き止みました。わずか数ヶ月の間に、私は母と父の口から二度も同じような話を聞いたのです。ただ、不思議なことに、これは母と父が話してくれたことばなのに、まるで自分の脳裏の奥深いところで、はるか昔の記憶が開かれたかのように、とても懐かしく思われ、一瞬にして自分が強くなったような気がしました。

 父のこの厳粛なことばから、私はすぐ、日本に何か大変なことが起きたんだと分かりました。そして、その瞬間、自分が突然、父に信頼してもらえるような大人になり、自分も父に任された任務を受け入れることが出来るようになったと感じました。

 そこで、私は、目をしっかりと見開き、父に強く頷きました。父は私を強く抱きしめて、頭を撫でながら、「神様がお前たちを守ってくれますように!」と言いました。

 そう言うと、父は急いで立ち上がり、出発しようとしました。そのとき、母が小さい包みを父に渡しましたが、父はそれを受取らず、母に、「お前たち親子は、このお金で日本へ戻って生活するんだ。将来何が起きるか分からないし、子供たちを連れているからお金が必要だ」と言いました。それで、母は父の言う通り、その小さな包みを自分で持っておくことにしました。

 外の雨はひどく、雷と稲妻で家が崩れてしまいそうでした。当時の私には、昔の人が言った「天意には逆らい難い」ということばの本当の意味は分かりませんでしたが、八歳だった私は、悲しくて、父の手をつかもうとしました。もちろん、父も辛かったのですが、どうすることもできず、ただうつむいて靴を履くだけでした。

そのとき、外で誰かがドアをノックしました

 そのとき、外で誰かがドアをノックしました。新井おじさんでした。父が家族のことを心配するだろうし、母が悲しむだろうと気遣って、父と一緒にこの家から出発しようと考えたのです。それに、母にもお別れを言い、母のこれまでの思いやりに感謝しようと思ったのです。おじさんは、「開拓団に来てから、洗濯や繕い物など、お姉さんにはずいぶんお世話になりました。またお会いできるかどうか分かりませんが、どんなことがあっても必ず、親子で無事に日本へ戻ってください。我々も帰るよう頑張りますから」と言いました。

 新井おじさんはそう言い終わると、深々と頭を下げて、「家族の皆さんには本当に感謝しています!」と言いました。父も、「それじゃ、もう出発する。体には気をつけて!」と別れを告げました。

 母は一言もことばにできず、ただ玄関にボーッと立ったまま、父とおじさんがこの嵐の暗闇の中へ消えて行くのを見送るだけでした。

 その夜のうちに、父たちは前線へ送り込まれました。これが、幼い私が初めて経験した家族との生き別れで、それが結局父との永遠の別れとなりました。父は二度と私の前に姿を現わすことはなかったのです。

 父が出ていった後、母は私を強く抱きしめると、さっきまで我慢していた涙が溢れ出し、ずいぶん長い間そのままじっとしていました。私は、母がまだ手に小さな包みを握りしめているのを見て、「これ、お財布?」と聞きました。母はシルクの布を開いて、中のお金を見せてくれました。そして、私に、「このお金で、何とかして日本へ帰るのよ」と言いましたが、すぐまた、果たして日本に帰れるかどうか、と弱気になりました。私は母に、「他の家が帰れるなら、私たちだって帰れるわ。私が下の弟を背負うし、小さなカバンだって持てる」と母を慰めました。母は、私があまりにも真剣に話したものだから、ほっとしたように私を見て、微笑みました。

(つづく)

転載https://www.epochtimes.jp/p/jp/2008/02/html/d62979.html

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