チベットの光 (66) 所詮は小術

チベットの光 (49) 望郷の念【伝統文化】
参考写真 (Raimond-Klavins / unsplash )

「見るな!見て何が面白いんだ!シャアツェのバイツォンヤンの婆さんが悪魔みたいな餓鬼を生みやがって。餓えても死なない『悪魔のミラ』とは、あいつのことだ。大方そんなことだ。いいか、おまえも気をつけろよ。あいつにつきまとわれないようにしろ。早く奴にはかまわず、さっさと畑を耕せ」。彼の父親は上を見上げず、みて見ぬふりをして言った。元来、彼は叔父の一派で、それゆえミラレパを恐れていた。彼は自分の子に警告を発しながら、一方では身を避けるようにし、彼の影のさすのを恐れていた。

 「ああ!生きている生身の人間が空を飛んでいるなんて、なんて不思議なことなんだ!もし空を飛べるんだったら、僕は片足がなくなってもいいよ。ああなれたらなぁ」、子供は完全に父親の話を無視し、畑を耕さずに空中を飛行するミラレパを見つめていた。

 ミラレパは戻った後に思った。私は現在自在に飛行することができるようになって、行きたい所には行けるようになった。現在では、衆生を救い、衆生に法を説く力量を得たのだ。しかし、そう思ったとき、面前に仏陀が顕れ、彼に言った。

 「おまえは師父のいいつけをよく守り、終生修行に励むとよい。世間にどんな事情があろうとも、修行より衆生を利することはなく、それでこそはじめて仏法を広めることができる」

 ミラレパは心の中で思った。そうだ、現在空を飛行するこができたといっても、それが何なのだ。佛になることと比べたら、本当に小さな事じゃないか。もし私がここで満足してしまったら、修行の成果を得る前に、それを台無しにしてしまうことになりはしないか。彼はそう考えると、すぐに警戒心が生じた。

 飛行という小さな神通を得たからといって、なぜ満足できるというのだ。それは元来、自分を奨励して、さらに修行に励むように継続実修させるものだ。

 「しかしもうここも長いしなぁ」、ミラレパは独り言を言った。「私を知る人もますます多くなった。今日は、空を飛んでいる所を子供に見られたし、これからは私に会いに来る人もますます多くなるだろう。ここに続けて住んでいたら、邪魔がますます大きくなって、修行の障碍になるだけでなく、それから世間の名利にかられ、佛になる修行が中断する恐れがあるな。そうしたら、下に堕ちて、駄目になるかもしれないぞ。危険至極なことだ」

 ミラレパはこのように考え、自らの歓喜心を恐ろしいと感じた。功能を得たからと言って、それを自ら素晴らしいと思わず、佛になることこそ最も重要な成果なのだ。こうして彼は、別の修行地である「チューバ」に行くことにした。

 ミラレパは身辺に何もなく、イラクサを煮る土鍋が彼の唯一の所有物であった。彼はそれを背負って、フマパイの洞窟を出た。

 彼は長期に渡る苦修と欠食で栄養失調となり、体力が衰え、山の斜面をノロノロと歩きながら、ボロボロの衣服を地面にひきずっていた。するとうっかりして、彼は足元の石ころに躓き、倒れた拍子に土鍋を背負っていた縄が切れ、鍋が地面に落ちた。鍋は粉々となり、鍋の中にあったイラクサが地面一杯に散らばったのを見て、ミラレパは世間事物の「無常」を感じ、精進修行の心が更に生じた。

 そのとき、山の反対側の斜面にいた猟師が食事をしていて、その物音に気づき、走ってきた。彼は、破片を手にしたミラレパを見て、好奇心から言った。

 「あんた、もう土鍋は壊れているのに、その破片で何をしようというのかね。なんでそんなに痩せているんだか。それになんで全身が緑色なんだい」

 (続く)

転載 大紀元https://www.epochtimes.jp/p/2021/05/72592.html

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