チベットの光 (62) 修行快楽歌【伝統文化】

参考写真 (Raimond-Klavins / unsplash )

「私は人だ!幽霊などではない!」、ミラレパが答えた。

 「あれ、君はウェンシーではないのか」ミラレパを知っている人が、その声を聴いて問うた。

 「ごもっとも。私はウェンシーだ」

 「ちょうどよかった。何か食べ物を貸し与えてくれないか。一日猟に出たものの、何も獲物がなくてね。腹はすいたし、疲れもしたので、先に何か食べ物を分けてほしいのさ。後で倍にして返すよ」

 「惜しいことに、あなたたちに分けるようなものは何もありませんよ」。ミラレパが答えた。

 「君が平生口にしているものでいいんだ」

 「ここには野草のイラクサしかありません。あんたたちもイラクサでも煮たらいい」。彼らはミラレパの話を聴くと、さっそくにイラクサを煮ながら、問うた。

 「チベット・バターはあるかな。あれば一緒にいれたいのだけれど」

 「あればいいですよね。私はここ数年お目にかかっていませんが」。ミラレパが答えた。

 「それでは、何か調味料がありますか」

 「調味料?ここ数年お目にかかっていませんね」

 「それじゃあ…」猟師たちはミラレパに何もないことが分かって、しかたなく言った。

 「それじゃ仕様がないから、塩でもくれませんか」

 「塩だってありませんよ。私はここ数年、塩なしで生活しているんですから」

 猟師たちは、イラクサを煮込んでいる鍋を見つめて嘆いた。「ああ!こんなものどうやって食うんだ。君はこんなお話にもならない生活をどうやって送っていたのだ。何もなくて、生きるのに最低限の衣食じゃないか。君は世界で最も悲惨な、最も可哀そうな人だよ」

 「そんなことを言わないでください。私は人の群れの中では、最も殊勝で得難い人なのですから。私は正法を修めた師父に出会って、即身成仏の口訣を得、一切の世間の妄念を放棄して、人気のない山中で打座修行に打ち込んでいるので、私の知恵と功力は増しているのです。現在、名、聞、恭、敬、衣、食、財、利、これらのものは私の心を動かすことができません。言い換えれば、私は世間の一切の煩悩を降伏させたのです」

 ミラレパはまた彼らに続けて言った。「世間で、わたしより大丈夫の男子がいるだろうか。わたしより世間で人生の本当の意義を知っている人がいるだろうか。誰が、わたしより勇猛果敢に目標にまい進できるだろうか。あんたたちは、仏法の盛んな地方で育ったものの、修行というものを知らないし、仏法を聴こうともしない。あなたたちの同輩を見ても、毎日生活に追われて殺生をし、銭を稼ぐことばかりで、死後に地獄に堕ちてしまうのではないかと考えたこともなく、六道輪廻の苦しみも考えたこともない。あんたたちのような人のほうが、世界で最も悲惨で、最も可哀そうな人なんだよ。私には物質的なものは何もないけれど、心の中は、却って永遠の快楽で一杯だ」

 ミラレパはこうして「修行快楽歌」を唱えて、彼らに聴かせた。歌の中で、修行によってもたらされる安寧、快適さと快楽、何物をも求めない快楽、煩悩のない快楽、心中淡々とした快楽、物質によってもたされる満足は短絡的な幻であるが、修煉によって佛になった徳は永遠で殊勝なものであると、歌い上げた。

恩師マルバを礼拝し    
私は一生の修行を誓った
フマパイの崖の洞窟で  
ミラレパは人知れず修行する
この上ない大なる仏法を求めるため
生を顧みず衣食を捨てる
薄い円座の上に座って楽しく 
バボ(※)でボロを着て楽しい
妄念は一切なく心性は楽しく 不安はなく住みて楽しい
このときも楽しくあの時も楽しく 私には一切が楽しい 
機根の劣る無縁者さまよ  
私は他人を利してよしとして 
根本から安楽にして修行する
きみたちよ、私を憐れんで笑うなかれ
夕日は既に西の山に隠れている
各自は自分の家に帰るがいい
わたしの命はいつついえるか知らない 
俗塵の空談をしている暇はなし
円満し仏果を得るためだ
どうか私の静粛な修行を邪魔しないでくれないか

 猟師たちは彼の歌を聞き、こう言った。「あなたの歌声は実に美しい。あなたが言うこれらの快楽は本当かもしれない。でも私たちには無理だ。では、さよなら!」彼らは言い終わると、そこを離れた。

※バボ‐地名

(翻訳編集・武蔵)

転載 大紀元 https://www.epochtimes.jp/p/2021/05/72588.html

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