弟子規(14)【伝統文化】

衣(Yī) 貴(guì) 潔(jié),不(bù) 貴(guì)華(huá);

上(Shàng) 循(xún)分(fèn),下(xià) 稱(chēng) 家(jiā)。

對(Duì) 飲(yǐn)食(shí) ,勿(wù) 揀(jiǎn)擇(zé);

適(Shì) 可(kě) 止(zhǐ),勿(wù) 過(guò) 則(zé)。

年(Nián) 方(fāng) 少(shào),勿(wù) 飲(yǐn)酒(jiǔ);

飲(Yǐn)酒(jiǔ) 醉(zuì),最(zuì)為(wéi) 醜(chǒu)。


注釈
(1)貴:重く視る。
(2)潔:整齊にして清潔。
(3)華:高貴で華麗な。
(4)上:最初に、先に。
(5)循分:自らの身分、本分。
(6)下:後で、後は。
(7)稱家:家庭の地位條件、家境。
(8)揀擇:好き嫌い。
(9)適:適当である。
(10)過則:過ぎること。
(11)少:幼い、年少者。
(12)醜:醜態。

【日文参考】

 着用する衣服は清潔を重視し、必ずしも煌びやかな華麗なものを身に付ける必要はない。まずは自らの身分を考え、後に家の経済状態と折衷をはかればよい。

 日常の飲食では栄養の均衡に気を付け、好き嫌いの偏食をしない。三食は腹八分目とし、暴飲暴食を戒める。年少者は酒を飲んではならない。酔って言語態度が乱れると醜態が百出するからである。


【参考故事】

 司馬光(1019─1086年)は、字を君實、世に知られた涑水先生である。北宋の陝州(現在の山西省夏縣)の人であり、北宋の著名な歴史学者である。司馬光の一生には、多くの人を感動させる故事が残っている。彼は官界にあって清廉潔白、華美を嫌う品格を持ち、政敵の王安石をして尊敬せしめたほどであった。

 司馬光は、仕事と実生活の中で子弟を教育する際に、贅沢を嫌い身を慎んで節制に努めるよう指導した。當時、《資治通鑑》の史書を完成させるために、弟子の范祖禹、劉恕、劉攽らを助手にして指名したが、さらに自分の息子の司馬康もこの編集作業に参加させた。

 この作業中、息子が本を荒々しくめくるのを見た彼は非常に怒った。なぜなら、彼自身が本を愛護するよう教育されたからであった。読書の前は、まず机を綺麗にして、その上に布を敷き、読書の際には姿勢を正して座り、ページをめくる際には、親指と人差し指で静かにめくるというものだ。彼は常々、「仕事をする人も手元にお金がある。読書をする人は、本を愛護しなくてはならない」と指導した。

 生活の方面では、司馬光は節制と純朴を重んじ、「平生の衣服は寒さを凌げればそれでよい、食は腹が満ちればそれでよい」としたが、「垢にまみれて俗にそまって名をなす」ことを恥とした。彼は常々子弟に、贅沢な食生活や分を過ぎた生活を浪費であると諭した。また彼は当時の社会の退廃的な風潮に強く反対した。例として、見栄や見映えを講じたり、あるいは見せかけだけの活気、使い走りの服装と知識人の服装が大差ないこと、土地の農夫が絹の靴を履いていることなどである。

 司馬光の徹底した節約と純朴さは、名言として今日まで残っている。「節制した生活から贅沢な生活に入るのは容易いが、贅沢な生活から節制した生活に入るのは難しい」。司馬光の教育を受けた息子の司馬康は、幼少の頃から倹約の精神をよく理解し、自律して実行したという。 

(竜崎)

転載 大紀元 https://www.epochtimes.jp/p/2021/03/70212.html

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