『共産主義の最終目的』 第四章(下) 共産邪霊、人類を破滅の道へ

【脱党支援センター2020年8月22日】

『共産主義の最終目的』 第四章(下) 共産邪霊、人類を破滅の道へ
『共産主義の最終目的』 第四章(下) 共産邪霊、人類を破滅の道へ

3. 「伝統復帰」の名のもとの洗脳

中国で数千年にわたり伝承されてきた伝統文化は、共産党政権が成立してまもなく、徹底的に破壊された。しかし、時が移り変わり、共産党自身も「伝統文化の復興」を叫ぶようになった。そこにはいくつかの理由がある。

第一に、マルクス主義的イデオロギーが行き詰まり、看板となる価値観を持ち合わせていない。米国大統領が中国を訪問する時には、有名大学で講演を行い、米国の普遍的価値観を中国の青年と分かち合っていたが、中国共産党指導者が訪米しても「共産主義」や「無神論」などの共産党文化を伝播することなどありえない。

第二は、共産党政権を維持する必要性に迫られたからである。階級闘争理念で育った国民は共産党政権にとって今や脅威となっている。共産党は国民を従わせるために伝統文化の中から「和をもって貴(とうと)しとなす」部分を切り出して大々的に宣伝しているに過ぎない。そして最後に、中国人の心の奥底にまだ伝統文化が存在していることが挙げられる。民間では文化のルーツを探し求める動きもあった。

これらのさまざまな要因が重なり合った結果、伝統文化を破壊してきた共産党もまた、伝統文化から活路を見いださなければならない境地に陥った。中国共産党の動機がどうであれ、中国伝統文化の持つ大きな力は否定できない。

1)破壊された伝統を復旧せずして「伝統復帰」を語れない

伝統復帰を語る前に、まず破壊された伝統の復旧をしなければならない。共産党政権が行ってきたさまざまな蛮行を反省し、清算し否定しなければ復旧とは言えない。知識人を束縛する無神論を破棄して初めて伝統文化の復興のスタートラインに立つのだ。中国の伝統文化は神が創造した半神文化であり、普遍的価値観である。無神論の立場からは、神への信仰に基づく伝統文化を理解することはできない。

したがって中国共産党の御用学者らは孔子や老子、お釈迦様が無神論者であったと証明しようと試みた。孔子の「論語」を曲解し、大衆は中国共産党の統治下で喜んで奴隷として生きるべきだと唱えた。そして聖人が説いた哲学理論を中国共産党の理論とつなぎ合わせ、低俗化させた。民間で起きた伝統復帰の動きがあっても、中国共産党の統治下においてはその統治の道具となり下がっている。

例えば、宗教が説く「人を救い済度する」ことには特定の意味があり、出家人にもそれなりの使命がある。しかし中国の某宗教協会会長は共産党第十九回党大会の精神を学習したあと次のような学習心得を発表した。「いわゆる人を救い済度することはつまり困っている信者を助け、彼らの合法的利益を保護し、彼らのために生産や仕事、生活の中における困難と困惑、問題を解決することである。」これでは宗教がまるで共産党の指導下におかれた労働組合のようではないか。出家人としての行いと境地がまるで欠如している。

伝統の復興を語りつつ、共産党支部を寺院や宗教学校に浸透させ、マルクス主義を伝統文化の指導的役割として位置付けているのが現状である。もしマルクス主義が伝統文化を指導できるほどの内容であれば、伝統を復興させる必要があるのだろうか。

2)中国共産党が「復活」させた儒教文化は有名無実

「人文始祖」と崇められている軒轅黄帝(けんえんこうてい)は五千年前の道家修煉者であった。中国文化の哲学的根源は道家を第一としており、道家文化は中国文化の源流と言っても過言ではない。中国文化のなかに仏家・道家・儒家の文化があるなか、中国共産党はもっぱら儒教文化を多く取り上げ、無神論で成り立つ文化を宣伝するために儒家を悪用した。しかし儒家は神仏への信仰を重点に置いてはいないが、孔子は有神論の時代に生きた。そのため、儒家文化は有神論の土壌で育ったものであり、神に対する信仰は言わずと知れた先決的要件である。

孔子は周王朝の礼儀の復興に一生を尽くし、周王朝の礼儀を用いて理想的な社会を形成することができると考えた。ではなぜ周王朝の礼儀は理想的な社会を形成できたのか。このように一連の問いを発すると、結局は神および天に対する信仰の問題に帰結する。

孔子が復興させようとした周王朝の礼儀は、周王朝の信仰体系に裏付けられている。天帝は天子(人間世界の王)に天命を授け、天子は天に代わって民を治め、賞罰を行い、戦争と農業を司った。漢王朝時代の代表的な儒学者・董仲舒(とうちゅうじょ)は武帝に「天人三策」を献上し、皇帝が儒家の「仁政」に従って国家を治めなければならない理由を説いた。董仲舒の理論基礎は「天人合一」であり、「天人感応論」とも称される。このように、儒家の理論は最終的に宗教信仰と神伝文化に帰結する。

では無神論における「天」とはどのようなものか。

中国共産党は儒家と道家が唱える「天人相応」や「天人合一」のなかの「天」を物質上の天空として限定解釈し、大自然とみなした。そして神伝文化における「天人合一」という修煉概念を人間と自然とが平和裏に共存することだと曲解し、このような解釈が「科学的発展観」と符合すると宣伝した。これは共産邪霊が神伝文化の核心的価値観を歪曲していることの現れである。

中華文化における「天」は、一般の農民がよく口にする「老天爺(ろうてんや)、つまり神様」と一致する。古人は天を「昊天上帝(こうてんじょうてい)」または「皇天上帝」と称した。「天」には意思があり、この意思こそ「天意」である。「天」は唯物主義的な大自然などの意味ではない。「なぜ人は信義で誠実なふるまいをしなければならないのか」、「善良である理由は何か」共産党はこれらの問いに答えることはできず、「社会主義核心価値観」だと主張する。しかし人々はこの「核心的価値観」の教えにより過ちを改め、信義で誠実なふるまいをするのだろうか。それは「核心的価値観」を定めた人でさえばかげた白日夢だと分かっている。

儒家文化を培った有神論的土壌を離れて儒家的道徳観である「仁義礼智信」や中庸思想を語ることは、無用な試みに他ならない。

3)文化を破壊する「時代劇」

共産党は絶えず文化と芸術による思想改造を行なってきた。三十数年来、主旋律を演じてきた文化芸術作品は依然として重要な洗脳手段であり続けた。しかし共産党文化がすでに社会全体に広まっているため、共産党は共産党の文化をまるで中国の民族文化であるかのように粉飾し、中国数千年の歴史の中の残渣、特に共産党文化に適合するものを精錬して全国民ないし全世界に広めている。このように人知れずに伝統道徳と伝統文化を腐食している。それは、共産邪霊が文化大革命後に文化芸術面で中国文化を破壊する手段でもある。

近年、中国では宮廷闘争を演じた時代劇ドラマが人気を博しているが、その内容はドロドロした権力争いや醜い暗闘、相互の排斥と足の引っ張り合いだ。このような作品は共産邪霊の「闘争」と「憎悪」の性質を十分に発揮し解釈したものである。

それらの作品は創作過程においていかなる共産党委員会の指示をも受けず、共産党のメディアによる宣伝もない。そのような作品が一世を風靡(ふうび)する原因は、中国人が互いに勘繰ったり攻撃しあったりする土壌を共産邪霊が作ったからだ。大衆文化の中に権力に対する崇拝や成金に対するあこがれが蔓延しているため、スクリーン上でもてあそばれる権謀術や陰謀が社会生活における当然の技能としてみなされ、共感されるようになった。権謀に長けている者が社会や職場で勝ち残り、悪人に勝つためには善人がより腹黒くなければならなかった。現在、人々はこの種の闘争手段を「智慧」として崇拝している。かつて大ヒットした宮廷ドラマ「宮廷の諍い女(いさかいめ)」は権謀をもてあそぶ架空の物語だ。その公開に伴い、大衆の心理に迎合するかのようにドラマから学べる「智慧」を紹介する書籍が多く出版された。

これらの時代劇ドラマは古代の物語や情景を描写しているものの、全体を貫徹する思想は現代人のものだ。古代の衣服を身に着けて古代人を演じているが、内容は現代のものに他ならない。表層のものを回復しつつ深層の神髄を破壊している。歴史事実に忠実でなくても、人々はそれらの「時代劇」と醜い暗闘を「伝統文化」と認識してしまう。中国共産党がまず暴力を用いて神伝文化を破壊し、のちに共産党文化で数十年間洗脳し続けた結果、人々は共産党の闘争哲学こそが中国の伝統文化であると疑いもなく思うようになった。

4)混乱の主因は一党専制

中国共産党が伝統文化の復興を掲げると、人々の間で蓄積されていた文化復興の衝動が急速に膨張した。不幸なことに、心から伝統文化を復興しようと努力しても、中国共産党的イデオロギーによる統制と無神論による個人の利益追求の挟み撃ちに遭い、真の意味での伝統文化を復興させることはできなかった。低俗化、娯楽化する文化的潮流の中で、それらの動きは皮肉にも伝統文化を破壊する作用をなした。中国共産党も表面上は各種の乱れを正すと主張しているが、「共産党による指導」こそが乱れを作り出す根源である。

神を信じない政党と「すべては金銭のために」奮闘する国民、そして寺院を大規模に増設する時流が合わさるとどのような化学反応が起こるのか。

今、寺院はすでに新たな投資先となり、金儲けのために寺院を囲い込む者すらいる。観光スポットには偽寺院や偽道灌、偽法師、偽道士があふれかえり、観光ガイドと和尚、道士などが一緒になって観光客から金銭をだまし取っている。観光客から金銭を巻き上げる手段は多岐にわたり、信仰心を悪用した商法が続出する事態になっている。寺院を経営するビジネスはまさに金の生る木となっている。西安のある人物が七個の寺院を経営し、一年間に数千万元を儲けているとの報道もある。

「ほしい神があれば適当に作ればいい」これが河北省易県の「奶奶廟」の人気の秘密だ。人々はこの寺院で拝みたいあらゆる神に会える。出世したければ「出世の神」を拝むことができ、お金がほしければお札が張られた「財産の神」がいる。学業成就を目指す学生のための「学問の神」もいれば、運転の安全を確保する「車の神」もいる。この寺院の管理者は物おじせずに、「必要な神があれば作ればいい」と言い放った。

寺院の住職がCEOとなり、寺院も値札をつけられて株式市場に上場する。他国では数千年間続く教会もあり数百年間続く株式市場もあるが、教会と株式市場の間に何らかの関係を見いだす者はいない。中国共産党の統治下に置かれ無神論がはびこる現代中国では奇妙な現象がみられるが、もはや人々は見慣れてしまい、もう奇妙だと思わなくなっている。

中国共産党が大々的に宗教弾圧を行っていなかったから、宗教に心の支えを求める者もいる。しかし中国共産党が利益誘導と商業化の手法で宗教を変えてしまった状況下で、中国共産党統治下の宗教は共産党の収入源および他者を攻撃する手段となっている。この時、宗教信仰も邪霊の無神論と唯物論に対する信仰に他ならない。そして宗教は意義を失い、信徒たちは帰途をさまよい、人々は回帰の道を絶たれた。共産党は宗教に対して公的な迫害をしなくても人を破滅させるという目的を達成できたため、宗教弾圧をする必要もなくなった。

4. 天国への道を閉ざし地獄の門戸を開く

1)悪人を擁護し善人を打倒する

共産党の首脳を選出する過程において、劣った者が勝ち残り優秀な者が淘汰され、善人の代わりに悪人が勝ち残るという現象がよく見られる。この現象は共産党社会のあらゆる方面において表れている。社会をコントロールするためには伝統的思想を持った人物が権力を持つのを防ぐ必要があり、そのため共産党は社会における全ての重要なポストを独占し、邪悪な政策が貫徹されるようにした。

中国社会を人の身体に例えれば、共産党はすべての脈絡とツボを押さえていると言える。ツボとは社会において重要な役割を果たすポストのことであり、脈絡とは人材の流れ。中国共産党がよく用いる手法とは、実力があり道徳を重んじる者を蹴り落とす代わりに、共産党を擁護し追随する人物を抜擢することだ。まるで脈絡が逆行しているこの現象によって、中国社会の中流・上流階級は中国共産党が人為的に作り出した既得権益層によって構成されてしまった。「ツボ」を占拠した者は往々にして共産党内部でも特に忠誠心が強く、長らく共産党の恩恵を受けてきた人物である。

今日の中国では善人が憂き目に遭い、出世しているのは悪人ばかりだと多くの人は嘆く。しかしこれは共産主義国家の常態である。善人が得をしたいと思えば、まず共産党に忠誠を誓い、いかなる悪事もいとわない悪人にならなければならない。専門知識を持った者は技術職として一定の役職まで昇進できるが、それ以上の昇進は望めない。その上、専門職の者は技術にしか興味がなく、政治的問題に口出しする勇気もなければ関心もない。万が一彼らが共産党のレッドラインを一歩でも超えれば、共産党の無慈悲な制裁を受けることになる。暗黙の規則とは何か。これこそが現代中国の最大の暗黙の規則なのである。

中国共産党は政権樹立以来、社会を厳しく統制する「単位制度」や「戸籍制度」を作り上げた。農村では「集団化」や「人民公社」を立ち上げ、大きな網のように中国社会を囲い込んだ。そしてそれぞれの単位には行政職と並行しながら権力では凌駕(りょうが)する「党務職」が置かれている。それらの「党務職」の多くは業務をこなす能力がなく、もっぱら人の足を引っ張ることしか能がない。

一方で、真実を語り人情深い善人は中国共産党政権の成立当初から系統的に壊滅させられてきた。「反革命鎮圧運動」では国民党時代の公務員が殺害されたが、その多くは社会のエリート層だった。「土地改革」では農村のエリート層が抹殺された。「三反五反運動」「資本主義改造」では商工業のエリートが迫害に遭い、「反右派闘争」では知識人が刑場の露となって消えた。「文化大革命」は数回の政治運動の生き残りが徹底的に排除され、1989年の「天安門事件」では憂国の志士が虐殺された。そして法輪功に対する迫害では「真、善、忍」を重んじる修煉者が弾圧された。毎回の運動で打倒されたのは中国のエリート層だった。

江沢民派は汚職と腐敗にまみれ、淫乱の限りを尽くした。江沢民は全くの能無しであったにもかかわらず、天安門事件の虐殺に乗じて権力の王座に上り詰めた。1999年以降、江沢民に追随し法輪功学習者を迫害した邪悪な権力者である薄熙来や周永康、郭伯雄、徐才厚らが相次ぎ抜擢された。江沢民派からすれば、法輪功学習者の血にまみれた者であればあるほど迫害政策を継続するため、そのような者の方がより信頼できる部下や後継者となったのである。

一連の運動の中で人々はだんだんと分かってきた。身を捨てて権力者に近寄る者は財産と権力を得る。時流に乗る者は一時の安全を得る。一方で、正直で異を唱える者は困難に直面し、「地面に打倒されたのち、さらに足で踏んづけられ」、悲惨な最期を遂げる。「鐘が毀棄(きき)され、瓦が鳴る。小人が高位に就き、賢人は無名のまま去っていく」この流れの中で国家はボロボロになっていった。

重要な位置に就く者によって、社会の方向性が定まる。「まっ直ぐなものを曲がっているものに当てれば、曲がっているものをまっすぐにできる(挙直錯諸枉、能使枉者直)」と論語にあるように、仁義誠実な者に小人を支配させることで小人を誠実な方向に導くことができる。逆に、邪智奸侫(じゃちかんねん・心がひねくれていて、悪知恵が働き人にこびへつらうこと)な者を誠実な者の上に据えれば社会は加速度的に下落する。

「悪人を擁護し善人を打倒する」ことこそ共産党社会の真実である。これは共産党の一時的な失策や社会変革期における動乱によるものではない。共産党は人類を破滅させるため悪人をその急先鋒に任命し、地獄に向かってまっしぐらに駆け抜けていくのである。

2)唯物論を吹聴し、変異した価値観を奨励する

共産党は唯物論を唱えることにより人々を物欲に溺れさせ、享楽と精神的刺激を追求するようにした。物質に満ちた生活を送るなか突如、精神の空虚感を感じた人は少なくないだろう。

現代社会における多くの不良現象は古代にも存在していた。だが共産党は人間の欲望を掻き立てるあらゆる不良現象を権力維持の道具と化し、最終的に人間を壊滅する兵器とした。

共産党が欲望をコントロールする手法は多種多様であり、放縦と締め付けを繰り返してきた。まずは一切の私的財産を禁止し、男女が手をつなぐことさえ「腐敗した資産階級の生活作風」と批判、一切の物質的・精神的生活を制限した。そして改革開放を行い、すべては金銭のためにと唱え、欲望の放縦を認めた。抑制された欲望が堰(せき)を切った水のようにあふれ出し、あらゆるものを飲み込む勢いとなった。

徐々に、物欲の享受に溺れた大衆はよりコントロールしやすいことに中国共産党は気づいた。共産党は人々の善良な心を度重なる運動で打ち砕き、旺盛な生命力を欲望の放縦の中で消耗させ、余剰時間を賭博やオンラインゲーム等の娯楽の中で台無しにさせた。

禁欲の中で洗脳されるか、欲望の放縦の中に溺れるか。はたまた邪教の中で悪魔を崇拝するか、混沌たる社会で我を見失うか。共産党はこのようにして人々が正常な生活を送れないようにした。

3)青少年に対する洗脳教育

共産邪霊は人類を敵とみなし、人間と神のつながりおよび文化的記憶を消し去ることを画策した。伝統的教育はまず子どもに普遍的価値観に対する理解と共感を教え、深い文化的教養や歴史知識、俊敏な洞察力を養ったが、これらは共産邪霊がその目的を実現するうえで邪魔だった。共産党は政権掌握後すぐさま教育を国家の監視下に置き、邪悪な共産主義的イデオロギーを先生と学生に刷り込んだ。

文化大革命の最中、一千万人を超える青少年が武装闘争に参加し、動乱に加担した。彼らは後に農村や辺境の地に飛ばされ、「中下農民による再教育」を経験した。

二十世紀80年代以降、中国共産党はイデオロギー面の統制を緩めた。若者は改革に希望を寄せたものの、その希望は天安門での虐殺によって打ち砕かれた。90年代に入ると、唯我独尊の考え方を持つ一人っ子が目立つようになった。政治的高圧により彼らは寡黙になり、象牙の塔に閉じこもる者もいれば、国外に出て商業を営む者や留学する者もいた。利己的な個人主義が横行し、「黙って一財産築く」ことが新たな座右の銘となった。

中国本土の教科書における「英雄教育」の文章は、自由主義諸国からすればテロリスト養成用の教材に他ならない。胸で銃口を塞ぐ、爆薬を手に持ったまま爆発させる、燃え盛る火のなかで微動だにせず焼け死ぬ等々の「英雄事例」について、中国共産党のプロパガンダと教育は一度も残虐さと血なまぐささから脱したことがないとある作家は指摘した。

長きにわたる洗脳教育と厳しい情報統制のため、多くの青年は歴史事実と普遍的価値観を知ることができなかった。中国共産党は意図的に彼らの民族主義的情熱を扇動し、必要と判断すれば彼らを街頭に立たせる。いわゆる反日デモや反米デモも、中国共産党が「愛国病」や「集団暴行病」の発生を黙認した結果である。

さらに恐ろしいことに、中国共産党の洗脳は幼児教育から始まる。「愛国主義教育」は幼稚園児から始まり、幼い心を共産主義の毒素で染める。中国共産党の「愛国主義教育」がどのような代物であるか、いまさら紙幅を割く必要もないだろう。

終わりに

今日の中国社会では道徳が凋落し、社会は腐敗にまみれ、国家としての体裁を成していない。「調和社会」と鼓吹されているが、その内幕は邪悪と宥和し自発的に共存する社会である。伝統を復興させようとする民衆の自発的な努力は巧妙に岐路へと誘導され、善良になろうとする努力は無情に圧殺されている。中国共産党は「一夜にして成金になる」欲望や「娯楽を極めて死ぬ」雰囲気、そして「心行くまで遊んだら死んでも構わない」風潮を作り出し、その結果として社会は自己中心的で悪辣(あくらつ)な空気に包まれた。官製メディアがいくら時代の主旋律を声高に歌おうと、共産党の決まり文句や虚言、ならず者式の狂言、洪水のごとく押し寄せる下品な言葉が絶えず「時代の主旋律」であり続けている。能力のある者は沈みかけの船から逃れるため海外に移住した。国外に出ることができない人は不安のなか日々を過ごすしかない。

建物は取り壊されてもまた建て直せる。家庭が破たんしてもまたやり直せる。会社が破産してもまた起業できる。若者の青春が台無しにされたのなら、次の世代に希望を託すことができる。国家が異民族に征服された場合でも、文化や言語、歴史が伝承されていけばまた国家再建の日が来る。しかし歴史が改ざんされ、文字が改悪され、言語が汚染され、伝統が繰り返し破壊され、人の心が幾度となく歪曲・侮辱され、大地が荒廃し、水源が枯渇し、善人が虐殺され、真実がかき消されたならば、その民族は決して立ち直れないだろう。

人類を壊滅させるため、中国共産党は大規模な虐殺のみならず、長期間にわたって「憎しみ、だまし、闘争、邪悪」等の手段を用いてきた。それらの手段の最も邪悪なところは、それが人の善良な心を利用しつつ愚弄(ぐろう)し、最終的には自ら善良な心を消し去らなければならない境地に民衆を追い込んだことである。

人は神に作られた存在であり、みな神の性質を持っている。自らの生命が誕生した天国世界に帰ることは一人ひとりの宿願である。共産主義は人間が持つ神の性質と生命の昇華に対する願望を悪用し、共産邪教の邪悪な内容を注ぎ込んだ。伝統的な宗教は神と神の意思、即ち天意を信じるのに対し、共産主義は架空の「歴史的必然性」を崇拝する。伝統的宗教は天国の存在を説くが、共産主義は共産主義社会こそユートピアだと鼓吹する。伝統的宗教には聖職者が存在する一方で、共産党は「労働者階級の先鋒隊」と自称する。中国共産党の成立当初、一部の憂国の士は共産党のプロパガンダを妄信し、生命を賭して中国共産党に加入した。しかし中国共産党は邪教であるため一度加入すれば脱退は許されない。それらの者が共産党の真実に気付いた時にはすでに共犯者となり、泥沼にはまり抜け出せなくなっていた。今日でさえ、一部の者は純粋な心と理想を抱いて中国共産党に加入するが、暗黒な現実を前にして良知を捨てる以外道は残されていない。彼らの多くは幻滅と失意のうちに邪悪に妥協し、欲望を放縦して堕落していく。このように、共産党は人間の貪欲と欲望を利用しつつ(その名前からもわかる通り、共産党は他人の財産を共有しようとする集団である)、人間が持つ神の性質と善良になろうとする心を利用し、最後には壊滅していくのだ。

共産邪教にはある種の特殊性がある。「階級闘争」や「余剰価値理論」、「社会主義革命」、「共産主義社会」などの共産党の理念を信じない者でも事実上は共産邪教の信者となり邪霊に取り付かれることだ。人間の道徳水準が低下すると思想の中に邪霊と相通ずる部分が生じ、邪霊に乗じる隙を与えてしまうからである。無神論や唯物論を信じ、輪廻転生を否定し生きている間に歓楽を極めようとする者がいる。絶対的な真理などなく、道徳はすべて統治階級が編み出した戯言だと信じる者もいる。神を信じるにはただ正念さえあればよいが、神を排斥しようとする者には千の理由がある。善に向かうことは険しい山を登るようであり、悪に向かうことは崖から崩れ落ちるようだと俗に言われる。道徳水準が下落した人が成り行きに身を任せ欲望と邪悪に妥協すれば、そのたびごとに悪魔の支配は強まり、足を洗うこともなく気付けば破滅の一本道を突き進んでいる。これは今日の多くの中国人の境遇ではないだろうか。

憎悪によって構成された邪霊は殺戮(さつりく)によって勃興し、欺瞞(ぎまん)を用いて拡張し、民衆の闘争心を掻き立てることで天下を乱した。そして全人類を壊滅させるという最も邪悪な最終目的を達成するため、とどめの一撃として人のこころを悪の方向に導いた。人が物欲と感受性の虜(とりこ)となって享楽しているとき、邪霊が凶悪な笑みを浮かべて人類滅亡のカウントダウンをしていると誰が知るだろうか。

*****

中華民族は恵まれた民族であり、中華文化は神から使命を授けられた文化である。太古の昔、神が神州大地を創造した時にあらかじめ、将来の危機と窮地に直面したときの転機と希望を用意しておいた。末世の大災難を前にして、天の意図を読み解けるか、神の言葉を理解できるかが一人ひとりの運命と将来に深く関わっている。

つづく

転載大紀元 エポックタイムズ・ジャパン

『共産主義の最終目的』序文
第一章 中心なる国 神より伝えられた文化
第二章(上)赤魔の陰謀:人類を壊滅させる
第二章(下)赤魔の陰謀:人類を壊滅させる
第三章(上)共産邪霊の手段:殺戮
第三章(下)共産邪霊の手段:環境と文化の破
第四章(上)共産邪霊 人類を破滅の道へ
第四章(下) 共産邪霊、人類を破滅の道へ
第五章(上)邪霊が位を簒奪し文化が廃れる
第五章(下)邪霊が位を簒奪し文化が廃れる
第六章(上)「憎悪」を国家の支柱とする
第六章(下)「憎悪」を国家の支柱とする
『共産主義の最終目的』終わりに

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