くしの伝説と文化

くしの伝説

 現在わたしたちが使っているくし(梳子)の原型は、約5千年前、軒轅黄帝の妃・方雷氏によって創られたと言われています。方雷氏は魚の骨組みからヒントを得て、くしを発明しました。

 伝説によると、ある年、黄河流域で大洪水が発生しました。その際、黄帝の臣で舟職人の狄貨が氾濫した河川から19匹の大きな魚を取って来て、部落の人たちに食べてもらいました。そして、食べ終わった魚の骨を周りに置いていました。方雷氏はその中の1節を拾ってきてしばらく眺めていましたが、次第にその形に美しさを感じるようになり、試しにそれを使って長髪を梳いてみました。すると、乱れていた髪が綺麗に整ったのです。

 喜んだ方雷氏でしたが、魚の骨のままで使用すると折れやすく、手を刺してしまうことも多いため、大工職人に頼んで魚の骨組みを木材で作ってもらいました。これが、今日わたしたちが使っているくしの原型です。木製であることから「木梳」と名付けられました。木梳の出現によって、くしで髪を梳く習慣が始まったと言われています。

 時代が進むにつれてくしも多様化し、髪を梳く機能の他に、木材の異なる性質を生かして養生の効果も得られるようになりました。また、製造技術の発展によって精巧に作られたくしは、髪飾りの一種にもなりました。唐代、宋代には精巧で美しい金や銀のくしが作られ、女性用装飾品として盛んに流通していました。近代になると、装飾品として使われることは少なくなりましたが、中国の少数民族にはこのような習慣がまだ少し残っているようです。 

(轉載大紀元)

関連記事