【党文化の解体】第5章(13)

「保先運動」(大紀元)

【大紀元日本10月28日】

4.党に言われる通り何でもやる

 正常な人の行動は自己の判断により行うものである。この種の判断は的確な情報と普遍的道徳基準を基礎とすべきである。人間が機械と異なるのは、人間は自主的行動と判断能力を具えているからである。しかし、中共の宣伝の中で、常に言われるのは「党に言われる通り何でもやる」である。その上これを「党性が強い」「覚悟が高い」「組織規律性が強い」の表れであると評価される。

 三、四十年前の狂気たる年代において、多くの人は激情を胸に溢れて党に呼応する:「革命の煉瓦になることを願い、東西南北何処に置くかを党に任せ」「党に言われる通り何でもやる」。中国語の「干啥」(何でもやる)は一切の可能な行為をすべて含む意味を持つ。(党に言われることは)正常な事情であるかもしれないし、利益を企むために命を害し、殺人や放火などの天理に容赦されない絶対やってはいけないことであるかもしれない。「党に言われる通り何でもやる」の一言は、中国社会の何千年来の天理の要求と善悪の基準を破壊し、最高の指揮権と裁判権を完全に中共に渡した。当時の人々は、これは中共に対する盲目的服従と迷信、或は荒唐無稽と悲しみであると思っていないばかりでなく、返ってこれを最高の光栄であると思い込んでいる。「党に言われる通り何でもやる」を信じ込んだ人々は階級闘争で自己の隣人や同僚、友人を迫害するにしても、天・地と戦い自然破壊をするにしても、検挙告発にしても、率先にして先頭を切る。中共の手先になることを光栄に思い、党の指揮で言われる方向へ向かって何でもやる。

 このようにして、中共は中国民衆に対する「恩」(共産党がなければ新中国はなし)、中国民衆に対する「情」(父母といえども、党ほど親しくはない)を宣伝することにより、民衆に(党の)話を聴け(党の話を聴き、党について行き)と要求することから完全に自己の頭脳を放棄し、自己の一切を中共に主宰させ、完全に中共の道具と化することまで要求するようになった。近年の中共の「保先運動」(※1)は、「党に言われる通り何でもやる」だけではなく、「党がやってほしくないことは絶対やらない」までも要求されている。歴史上においては、中共政権のように民衆に対してこれほど徹底的な洗脳と奴役を行うような政権は何処もいないだろう。

「保先運動」(大紀元)

1)一体党は民衆に何をやってほしいのか

 1967年夏、道州盆地を横断する瀟水川の川面上に数え切れないほどの体が腫れている死体が浮いていて、黒赤色の脂っこいものが浮いていた。……「斬尽殺絶黒四類、永保江山万代紅(黒四類(※2)を斬り殺し尽くし、江山を万代に末永く保とう)」と言うスローガンは随所に目に見え、「貧下中農最高裁判所」の人殺し布告が随所に張られている。道県(県は村に相当する中国行政単位)及び周辺地域は完全に紅色恐怖に包まれた。

 上記の惨相は「湖南道県農村大虐殺記録」の中に掲載していた文革時の湖南道県の大虐殺の惨状である。

 湖南道県の農村で発生したこの大虐殺は、2ヶ月強ぐらいの期間において、殺された所謂「四類分子」及びその家族は4千人余に上る。全地区(道州盆地地区)で、殺された人数は9千人以上である。殺された人は主に所謂四類分子及びその家族で、年齢で言えば最大は78歳、最小は生まれてわずか10日ほどの赤ん坊であった。

四類分子への大虐殺(大紀元)

19年後、大虐殺の主要責任者の一人である、原清塘区武装部部長、「紅聯」(毛沢東思想紅戦士連合司令部)営江前線指揮部総指揮の関有志が刑務所の中でインタビューを受けた時に次のように話していた。

 「私は1950年兵隊に入り、その後入党し、幹部まで上り詰めた。1958年復員して道県へ帰ってきた。…この間、私は如何なる処分を受けたこともなく、いつも党に言われる通りに何でもやってきた。…私は毎日学んだのはただ階級闘争を忘れてはいけない、毎日聴いているのは階級敵人が破壊活動を行い、天を変え、復辟を企てようとする。蒋介石は大陸へ反撃して来る。私の職務は銃を管理することだから、どうして安心できるのか。文革武装闘争中に、武装部の銃が奪われ、そして、四類分子も天を変え、紅色政権を造反しようとすることを聴き、私は自ずと「紅聯」側の立場を取った」。

 関有志と同様に、多くの中共の暦次の政治運動中に殺人、人殴り、闘争、批判をする人たちは、その後懺悔する気持ちがないばかりでなく、自分の行為に不服を言う。自分たちは単なる「党に言われる通り何でもやる」だけで、自分たちはただ党の一兵卒、一道具に過ぎない、自分たちの行為に責任を負う必要がないと言うのだ。

 もしそうであれば、一体党は人々に何をさせたのだろうか。本来ならば、人々の正常な生産、生活活動と言うのは、共産党に何かを言われてやる必要はまったくないのである。如何なる正常な社会においても、人々は通常の仕事、冠婚葬祭、科学芸術活動、発明創造、精神上の追求、人間関係作りなどを行い、言い換えれば、正常な人類活動は、共産党によって鼓舞する必要はまったくないのである。共産党が大いに提唱、宣伝、鼓舞することはほとんどと言ってよいほど、良いことは一つもない。社会の安定と民衆の福祉のためにやったことは一つもない、皆ただその一党の利益のためだけである。

 当時、中共は自分だけ真に抗日していると宣伝し、多くの熱血青年を延安まで騙し行き、しかし、入れれば出られない、これらの青年たちは洗脳に強いられ、後悔しようもない。実際のところは、日本侵略軍は大半の中国を占領していて、国軍(国民党政府軍)は堅実な頑固な抵抗を行い、もし真に抗日するのであれば、延安へ行く必要はまったくないのである。(中共が叫んだ)「全中国を解放せよ」とは全面的内戦の発動そのものであり、当時の合法政府を転覆させ、共産党の超国家主義的統制を延安の一隅から全国へ拡大した。「抗美援朝(朝鮮戦争)」は、百万単位の人命と高額な軍費を費やし、当時の国民経済を瀬戸際に強いられ、金氏王朝によるごろつき政権の延命のために手助けし、朝鮮人民に重大な災難をもたらした。「大躍進」、「人民公社」、「走って共産主義へ入り」等は4千万人の餓死者を出す大惨事をもたらした。文化大革命、全国範囲の大混乱を招き、死傷者は数え切れないほどなり、国民経済は崩壊の瀬戸際に陥り、優秀な人材は凋落し、伝統文化は絶滅されるほど破壊された。「知識青年は農村へ行け」は、千・万単位の青年の求学の機会が奪われ、素晴らしい青春時代を農村や辺境へ投げ込んだ。

 中共が宣伝しているのは無神論と唯物論であるため、「党に言われる通り何でもやる」と言うことの怖さが更に増していく。人々は最早天理を信じなくなっているから、党の歓心を買うことさえできれば、或は自己のためになれば、如何なる悪事をもやってしまう。目下その典型的な例と言えば、法輪功への迫害にほかないであろう。多くの警察は迫害政策を口実にして、これは上からの命令だと言うのだ。しかし、実際の迫害の中には、大々的に手を出したり、酷い場合は虐待して死に至ったり、または一部の人は黒心の医者と結託して、法輪功学習者の臓器を生体摘出するような残酷行為をしている。

法輪功学習者への残酷な迫害(大紀元)

「農家による生産の請負」と「郷鎮企業」この二つは中国の農民の二大壮挙であると言われているが、実はこれは中共による統制がある程度手放した結果そのものである。庶民たちは自分たちの生活を如何によくさせるのが一番よく知っているからだ。中共が何もしないときは庶民の生活が最も良い時期である。中共は一旦何か動作があったら、必ず民衆に何か災難をもたらす。過去の50何年の歴史(本書出版当時)が証明してくれたのは、なんとこの簡単な真理であった。

 ※1:保先運動とは、「共産党の先進性を保持するための整党運動」のことである。「党性」教育の一種である。

 ※2:黒四類とは、文化大革命始まる前の1964年使い始めた表現で、闘争される対象として地主、富豪、反動分子、悪質分子、およびその子女のことを指す。

 (続く)

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