【党文化の解体】第5章(8)

延安整風運動(大紀元)

【大紀元日本9月2日】

2.「両親である父母といえども、党ほど親しくはない」
 3)悪人を父と看做す心理的原因
 (3)ストックホルム症候群

 1973年8月23日、スウェーデンの首都ストックホルムのある銀行に、完全武装した強盗2人が、銃で乱射しながら、「パーティーが始まった」と叫んだ。この二人の強盗は男三人女一人の銀行職員を人質にしたてこもった。警察事件発生直後即現場周囲を包囲し、同28日に突撃に成功し、人質を救い強盗を逮捕した。強盗と対峙した六日間、人質は外からの救援を拒むほか、人質を保護する側にある警察を敵対視し、自分たちを加害しようとするという心理状態となり、強盗こそが自分たちを保護できると思い込んでいた。更に驚くことに、人質が解放された後も、強盗を控訴しようとしないばかりでなく、メディアや裁判官に強盗たちの行為を賛美し、殺されなかったことや善処されたことに感謝の気持ちを伝えるほどであった。更に、人質になった女性の内の一人が強盗に愛の告白をし結婚する事態になり、もう一人の人質は基金団体を創り、世界中で強盗たちに釈放金の募金に奔る。

 命が脅威を受けるとき、強烈な救生の願望から、これらの人質が強盗たちを認めるようになり、しかもこの種の「承認」は危険な状態から解放された後も続く。このような精神的病状は医学上においては「ストックホルム症候群」と名付けられた。

 ストックホルム症候群が発生するには以下の四つの前提条件があると言われている。一つは、確かに被害者は自分の命に危険が迫っていることを感じさせ、そして、自分の命が随時加害者によってか害される。二つは、加害者は必ず被害者に対して小さな恩恵を与え、被害者から信頼を得、加害者こそ自分の命の救世主であると信じさせる。三つは、被害者の情報収集の道が全部閉ざされ、加害者からすれば被害者に知ってほしくないすべての情報が閉ざされ、世と隔絶されていることを感じさせる。四つは、被害者に如何なる逃げる道もないことを感じさせる。

 これを見て分かるように、中共はストックホルム症候群を作り出すすべての条件が備えていることを理解するのにそう難しいことではないだろう。中共が中国人に対する異常に成功した洗脳は、その仕組みはストックホルム症候群の発生メカニズムは驚くほど似ているところがある。

 中共が比較的大規模にストックホルム症候群を作り出し始めたのは、二〇世紀四十年代の延安整風運動、幹部審査運動、鋤奸運動*注。党員の反省資料は大体3~5回に及んで書き直された。一部の反省資料は13回まで書き直された。それは審査にクリアできなければの恐怖の心理そのものである。運動を行った日々、党員幹部たちはみな緊張焦りの下で、寝食に不安となり、党員幹部たちは強烈な暴力の脅威と理論攻撃により、長い精神的試練の結末、肉体的にも精神的にも震えながらも「党」の強権の元へ屈した。作家の劉白羽氏は幹部審査運動の試練を受けた後、次のように振り返った。「(自分が)万丈高空で孤独にぶら下がる状態から真の平実の地面へ落ちた」、所謂「平実の地面」とは、ストックホルム症候群を蒙って、自分の健康な状態を忘れてしまったのである。

延安整風運動(大紀元)

中共は政治運動の中で往々にして恩恵を与えながら打撃を遂行する方法を取る。ある派閥を引き込み、ある派閥を追い出す。どの党員も自分のことが党に信頼されることを望み、自分が身内であり敵ではないことを望み、「闘争の依頼相手」であり、闘争相手そのものであってほしくないわけだ。

 中共に今一つのよく使われている手口としては、「十歩進み、一歩退き」ということだ。毎回の運動の後は必ず無差別に「拡大化されてしまった」と言い始め、「選別」、「改正」、「名誉回復」が始まり、運動中に幸に免れなかった人々は往々にして党による名誉回復を強く望むようになり、突如に現れる小恩恵の前に思いがけなく身に余る寵愛に驚き、そのために「組織(共産党)」に感激して涙に咽ぶ。

 女子作家の丁鈴の長編小説「太陽照在桑乾河上(桑乾河を照らす太陽)」は1952年にスターリン文学賞に受賞し賞金をもらった。1949年以後の文学界で脚光を浴びた。1932年に共産党に入党し、南京で「国民党反動派」に3年間禁錮された丁鈴は、自分が無限に忠実した党に流刑、監禁されて二十年、その間受けた迫害は非人道的であった。しかし、「党に愛されなくても党を愛し続け」、「名誉回復」後、「太陽照在桑乾河上」再版され、「自分が依然として一人の兵士のように毛主席の名前を叫び戦場へ向かう」と切り出す彼女。彼女が逝去される2年前の1984年、丁鈴は中共中央に書簡を差出し、「52年間、私は多くの恩恵、名誉、幸福をもらい、啓発され、より党へ近づいた。より人民を理解でき、共産主義の必勝の信念がより強固なものになった」と書いた。そのときの丁鈴は、80歳近くになり、人生の4分の1が中共の牢屋の中で過ごし、中共の種々の反正義な行い、残酷無情を体験したにもかかわらず、「依然として一人の兵士のように毛主席の名前を叫び戦場へ向かう」と言えるのが、本当に恐ろしくてぞっとするような気持ちでたまらない。

 中共の暦次の政治運動を経歴し、中共という専制機器による「一掃する」、「ぶち壊す」、「打ち砕く」、「打ち破る」の野蛮たる力を目にし、恐ろしくて気を失い、自分の家にいるときでさえ、大声を出せず、中共が定めた「反動読物」を一瞥することさえもできない身を海外においている中国同胞たち、彼らの口から「両親とは言えとも、共産党より親しくない」「党よ、親愛なる母」「党を母に看做す」を歌い出すとき、我々が聞こえるのは正にストックホルム症候群を蒙った捩り回った心理からの呻吟である。

ストックホルム症候群を蒙った人が、手当たり次第に人を殺す中共に感激する(大紀元)

上で分析してきた三つの状況――中共に騙される、自己に執着する、ストックホルム症候群――どれも党がほしがっているスローガンを「自発的」叫ぶことができる。このほか、今日更に数多くの人は中共による長期的な洗脳訓練の結果、使い勝手に二つの顔、二つの態度を出すことができる。すなわち、中共の官僚、会議での態度表明、思想報告のために敷衍する顔、態度。今一つは私生活や親戚と友人の間の顔、態度。何年前に、大陸ではある一つの俗語はかなり流行っていた。この俗語はこの種の心理的状態を如実に反映している:「飯をたくさん食べて、酒は控え目にし、女房の話を聞き、党とともに歩め」。どうして女房の話を聞けと言うのだろうか。理由ははっきりしている。家族(友人)の気遣いは真心であるため、「党」はいつも「全心全儀人民のために服務する」と叫ぶが、庶民の生活に真に関心を持つことは一度もない。しかし、(そういう社会の中で)態度表明しなければならないから、幾つかのスローガンを叫び、敷衍せざるを得ない。これは所謂「真剣なお座なり主義」なのだ。

 *注:鋤奸運動とは、抗日戦争時に、共産党が行った漢奸粛清運動である。

 (続く)

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