【党文化の解体】第4章(6)

【大紀元日本3月13日】

1.悪党の思想と思考回路、悪党組織特有の言語
 4)中共に期待するという矛盾
 (3)誰でも同じ(後半)

 ロシアがさしたる混乱もなく改革された後(和平演変(※))、中共はそれよりずっとロシアの情況がよくなることを心配していた。そのため、中共は概してロシアの状況が如何に悲惨であるかと宣伝している。ロシアは当然自国の固有の「国情」があるので問題も多いが、中共がロシアを民主化後の失敗例として宣伝しているのは、間違いなく民衆を誤った方向に導いている。

 中国人の一部が海外に出ると、ロシアの外貨準備高が世界第三位(2006年3月報道)になったと聞いて驚愕する。ロシア人は食事も満足にしていなかったはずと思っていたのだ。インドの民主主義もこれまでずっと中共の嘲笑う対象であり、民主主義が失敗した典型的な例であるとしている。

 しかしインドは、1991年からナラシンハ・ラーオ政権の下で今日まで経済改革を行い、経済の年間成長率は7%にまで達しているが、この成長率は中国経済の成長率にかなり接近している。インドの金融業と資本市場は比較的発展しており、経営効率が高く、銀行の不良債権率は10%以下である。インドの経済的構造は一部の先進国と類似しており、インドには優秀で人件費の安い技術者が大勢いることから、インドは将来「世界のオフィス」になると予言する人もいる。実際、インドはすでに世界の主要な研究開発の中心地の一つとなっている。

 これらの国々には、それぞれが抱えている問題やこれからの発展に影響を及ぼす変動要因が当然存在している。しかし、中共が既得利益を維持するため、全面的改革をやりたくないために生じる一面的な報道には騙されるべきでない。弁別もなしに中共の論調を復唱し、中共の考え方で物事を考えるべきでない。

 事実、ロシアでは共産党がまだ合法的な組織であり、もしロシア人民が本当に共産党が好きであれば、当然選挙を通して共産党を当選させることもできる。人々がこの道を歩まないのは、やはり共産党が歓迎されていないからだ。

 現在の中国には、社会的な富を略奪して山分けしているかのような社会問題があるが、これは「資本の原始的蓄積である」と喩えて言う人がいる。すなわち西側先進国の現代化の過程においても同様にこの段階を経てきているから、これは正常なことだとしている。

 この資本の原始的蓄積についての是非は別として、少なくとも西方世界での資本の原始的蓄積の後、資本はすぐに社会的再生産過程に入り、同時に、有産階級は政治上においては明確な要求があり、政治への参加、メディアの創設、教育への投資、慈善事業の展開など社会的秩序を維持するため重要な勢力となった。

 しかし、中共の統制下における原始的蓄積は、絶えず金儲けばかりを考え、その後海外へ逃亡し、享楽にふけり、政府や共産党に対して影響力を発揮する気持ちは元からなく、西側の当時の状況とまったく異なっているから、「原始的蓄積」の後の良性循環をどうして期待できるのだろうか。

 もう一つ極端な類比の例がある。もしあなたが国や政府を転覆しようとしたら、どの政府でもあなたを弾圧するというものだ。これは非常に「巧妙」な概念のすり替えであり、大きな迷惑性を持っている。

 実のところ、この言い方そのものはすでに中共が反復宣伝して注入して造り上げた概念の混乱した典型的な表現である。「煽動と国を転覆する罪」は、中共の過去の「革命に反した罪」を罪名をすり替えただけのものである。

 この罪名は、通常の人権や言論の自由に関連する活動を「煽動と国を転覆する罪」に帰するもので、それ自体が人権の侵害である。中共の称する「煽動と国家を転覆する罪」「国家機密漏洩罪」などの多くの活動は、西側では皆憲法によって保護されている基本的権利であるので、民主政府がこれに対して弾圧する理由がどこにあろうか。

 メディアを通して政府を批判することは、中共にとっては国を転覆する「重大案件」であるが、西側ではごく普通のことで、国家の転覆とは根本的に無関係なものである。武器の備蓄やテロ行為は別の話である。

 極端な宗教組織の一部が世界で引き起こしているテロや戦乱は、中共が宗教の自由の否定、中共自身の無神論を繰り広げるための格好の教材としてよく使われる。世界で主流の正教信仰の多くが社会にもたらした社会道徳と人間性に対するプラスの作用については、中共はできる限り回避しようとする。内実を知らない多くの人は、中共とともに信仰に対してひたすら批判を繰り返し、他人の信仰の自由を求める努力に対しても排斥しようとしている。

 この種の是に似て非である類比は他にも数多くある。

 風刺的な意味では、中共にとって不利なものは類比をやめ、中国の特色と国情を強調し始めるのである。「国情」は中共が歴史的潮流を逆行するための殿下の宝刀である。実のところ、これは学んではいけない、あれも学んではいけないというのは、中共の既得利益に抵触しているのにすぎないのである。

(4)「他人の文句を言う前にまず自分がやれ」

 「他人の文句を言う前にまず自分がやれ」と言う言葉は、人が他人からの批判を反発するときによく使う言葉である。実はこれは誤りである。生活の中でも、人々は映画スターや運動選手の一挙手一投足を論っているが、自分に対してそれよりよく演技したりサッカーができるよう要求しているわけではない。

 しかし、中共は大変喜んでこの言葉を使い、自己の悪行を誤魔化そうと詭弁を弄する。米国が中共の人権問題を指摘するとき、中共の回答は米国の人権にも問題があるという。言葉だけで足らなければ、米国の人権を批判する報告まで出版する。そうなると、自己の人権問題も大した問題ではないという認識だ。

 よく見てみると、中共による米国の人権報告の内容はすべて米国のマスコミが一般公開した報道であり、米国政府も注目している案件である。なぜ中共は人的・物的資源を浪費しながらも、このような余計なことをやるのだろうか。

 それはうっぷんを晴らしたいからであって、決して米国の人権を改善しようとするわけではない(寧ろ米国の人権に関する醜聞が多くあったほうが中共にとって好都合である)。

 中共が自己のために詭弁を弄するのは、それは中共がすでにそこまで悪くなったからである。しかし庶民の多くが中共の自己弁解に追随して、場合によっては中共の回答理由を「国のために名誉を競い取った」と認識したとしたら、それは大きな間違いである。

 米国の人権がどのようなものかはともかく、米国が中共の人権状況を批判しているのは、客観的に見て中国の国民に助けの手を差し伸べているのである。なぜなら中共の人権迫害の下では、被害を受けているのは正に中国の国民自身でないだろうか。外国人が中共に人権状況の改善を呼びかけているのは、中国の国民自身が受益しているのではないだろうか。

 残念なことに、党文化の影響のために中共に対する批判を中国人民全体に対する批判だと思い込み、中共により植付けた狭義的愛国主義と民族自尊心に抵触して、結果として盲目的に中共の面子を保護してしまうのである。

 中共のために言い訳を探す人もいる。言わば中共を批判する裏にはきっと「人に言えない陰謀」があるとか、人権問題をもって中共を強迫しようとしているというものだ。例えそうであっても、中国の民衆が中共の口実を受け入れず、自国民への迫害の停止を強く要求し続ければ、中共は自己の行動を改善し、誰も中共を強迫しようとする理由もなくなるのではないだろうか。もしそうなれば中国の人民に利益をもたらすし、所謂「人に言えない陰謀」をも挫くこともでき、一石二鳥の得策ではないだろうか。

 このように考えれば、正常な思惟とは、相手がやることはともかくして、指摘されたことが事実であれば、それを聞き入れて改正することである。

 「人を正す前にまず自己を正せ」と言う人がいるかもしれないが、これもまた誤解である。この言葉は批判者自身が自ら勤めて努力し、それによって批判者自身の程度を高め、説得力がよりあるように、厳格に自己に要求するようにという表現である。この言葉は批判された者が他人からの批判に反発するために用意された言葉ではない。

 「誤りがあれば改めるべし、なければより勉学に励むべし」と言う言葉を聴いたことがあるように思う。外国の元首が中共と人権について議論しようとするとき、一つ典型的な所謂「機知」と言われる回答は、「あなたたち外国人は、我々中国人たちに対して中国の人権について話す資格はない。なぜならば百数年前に、あなたたちは中国人民に対して大きな人権侵害を犯したから」というものだ。

 中共が「天を恐れず、地を恐れず」自然を破壊し環境を汚染している時にも、これと類似した言い方をする。すなわち「西側諸国も自然環境を汚染する工業を海外に移転し、工業廃棄物を他国へ運ぶことすらやっているではないか」というものだ。

 言外の意は、西側諸国はかつて中国人民に対して人権侵害を犯したから、なぜ中共が中国人民に対して人権侵害を犯していけないのかというものだ。西側諸国が中国の環境を汚染したんだから、中共がなぜ中国の環境を汚染してはいけないのかという論法である。

 中国が国際社会の一員として世界の潮流に融け込みたいのであれば、まず国際社会からの意見を聴取し、他国の先端的技術を学ぶだけでなく、優れた制度についても研究しなければならない。

 国際社会が人権・民主・自由などの方面から圧力を高めるたび、中共が概して「他人の文句を言う前にまず自分がやれ」を用いてわざと騒ぎ立てるのは、民衆を誤って導いていることであり、被害を受けるのは国家と民族の長期的利益である。

 (※)和平演変(わへいえんぺん)とは、中華人民共和国において、いわゆる平和的手段によってソ連や東ヨーロッパのように社会主義体制を崩壊させることを指す。元来は米国合衆国の外交官・国際関係学者ジョージ・ケナンが冷戦期に提案した政治的プログラムであり、「政治的宣伝」・「経済的支援」・「文化的交流」の3つの手段を用いて社会主義国の民主化を促し、ひいては体制を変革しようという発想に基づいている。(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 (続く)

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