【党文化の解体】第3章(27)

【大紀元日本12月4日

5.多種の文芸形式を利用し、党文化を注入する
 2)演劇、歌舞、大衆演芸など多種な文芸形式を利用し、党文化を注入する

 中共の文芸を利用した宣伝形式は、その多くが旧ソ連から移植して無理に模倣したものである。しかし、党文化を注入する対象が全ての中国人であるため、中共は必然的に一切の民族文化資源を利用し、地域や民族ごとの好みに適合させて、洗脳の効果を最大化させた。

 歌舞、京劇、新劇、評劇(華北・東北等に広く行われる芝居の一種)、豫劇(河南省の主な劇の一つ)、呂劇(山東省の主な劇の一つ)、越劇(浙江省の主な劇の一つ)、粤劇(広東省の地方劇)、秦劇(西北各省の劇の一つ)、田植え歌舞、黄梅劇(安徽省の地方劇)、花太鼓劇(湖南・湖北・江西等地方劇)、二人転(吉林・遼寧等地方劇)、京韻太鼓(北京に起こり、北方各地に広まる謡ものの芸の一種)、河北梆子(河北地方の歌物語りの一つ)、山東快書(せりふと韻を踏んだ歌から成る芸能)、漫才、評書(長編物語りの講釈芸能)等々、中共が盗まないものはなく、党文化はこれら伝統的な文芸形式に寄生し、その害毒は計り知れない。

 ここでは、いくつかの関連する問題について検討する。

(1)民族的な文化に寄生する

 中共が中国人民にそれほど多くの災難をもたらしたというのであれば、なぜそれほど多くの「民歌」が共産党と毛沢東を賛美しているのであろうか。これはまさか中共が民心を得た証拠と言えるのではないだろうか。実際はそうではない。

 「胡麻油、白菜芯、インゲン豆を食べようと思ったら筋がつれそうよ。三日会えなかったら思い焦がれそう、ホーヘーヨー、エーヤー、私の愛しいお兄さんよ」。

 1943年、陜西省北部の高原地区で何百年も歌い伝えてきたこのラブソングは、新しい歌詞に書き換えられ、「東方紅」に改編された。胡麻油、白菜芯、インゲン豆は、東方、太陽、毛沢東に書き換えられ、そのときから、改編されたこの曲は中国全土で歌い広められ、党文化を宣伝する「重鎮となる曲」の一つとなった。

 「他人の死体を借りて、自分の魂を甦らせる」に似た事例は枚挙にいとまがないほどである。

 比較的有名なのは、危機にある人を助けて困っている人を救う勧善懲悪型の白毛の仙女が、苦しみが大きく恨みも深い白毛女として再登場し、「古い社会は人を鬼に変え、新しい社会は鬼を人に変える」という主題を演繹する。

 民歌「劉三姉妹」の中の歌詞:「池の辺で手を洗ったら魚も死ぬ、青山を通りかかったら樹も枯れる」は、本来恩義を忘れる人を諷刺する意味だったのだが、「富豪や地主を決して讃えない、彼らの心は毒蛇より悪辣である。池辺で手を洗ったら魚も死ぬ、青山を通りかかったら樹も枯れる」という風に歪曲され、劉三姉妹が階級闘争の先駆者であるかのようにしたてあげられた。

 様々な「新編歴史劇」を使って、古人の口を利用し、中共の世界観と歴史観を宣伝する。

 たとえば、「逼上梁山」(「水滸伝」を種本とする一節)では、林沖は「高?個人に対する恨みから、ついに搾取階級そのものに対する公憤へ」、「この世を転覆させようとするなら、槍には槍、刀には刀をもって対峙せよ」のように台詞を書き換えた。

 30年間の文化絶滅運動を経て、優秀な民族文化を完全に破壊させた後、中共が正統の中華文化を代表すると世界に向って宣言した。

 さらに大胆不敵にも、伝統文化の看板を掲げ、党文化に汚染された邪悪な作品群を販売している。こんなに大胆不敵にやれた理由は、世界がまだ中国のことを理解しておらず、人々がほとんど伝統を忘れたからである。

 敬神と善心の心を喪失した天女、偽の千手観音、偽の民謡・民族音楽、邪党の御用文化人の言葉巧みな話、似て非であるような解釈は、中共による暗黙な統制を華麗に彩っているのと同時に、さらに隠蔽して徹底的に、人々の神に対する正しい信仰を壊滅させ、人々の道徳観念と芸術の品位をも変質させた。

(2)八億人に八つの模範劇

 伝統演劇は忠・孝・節・義など崇高な情操をイメージとして解説し、社会の道徳水準を維持するために極めて大きな役割を果たしてきた。

 20世紀以来、急進的な知識人は所謂「封建礼教」を大々的に批判し、伝統演劇にも打撃を加えた。魯迅は伝統演劇の改革について論じた際にこう言っている。「(改革後)間もないうちにすでに静まっており、演劇は依然として古く、古い堡塁は依然として堅い」。この言葉を逆に説明すると、演劇の形式と内容は一体化されたものであり、伝統的な社会に有機的に組み込まれた一部分である。

 ほしいままに変えようと思ったら、もはや演劇でなくなるのである。1949年以後、中共は「体制の改造、人間の改造、演劇の改造」を行い、演劇界は百花も枯れるほど蹂躙された。

 「才子佳人」、「帝王将相」(封建的な時代劇)、「因果報応」などはすべて批判の対象とされ、中共によって改編され、党文化を注入する機能をもった作品だけがその存在を認められた。

 脚本家の呉祖光は、憤ってこの点を指摘した。中共は「本来何万本も演じられるはずの古典演劇をむざむざと排斥し、数えるぐらいのものだけが舞台上でいたずらに余命をつないでいる」、「党は芸術分野における指導を早く手放してほしい」。

 文革中に広く推進した「様板劇」は、中共が文芸形式を利用し党文化を注入する代表作として最高潮の作品となった。

 様板劇とは、一般的に改編された現代的京劇「紅灯記」、「沙家浜」、「智取威虎山」、「奇襲白虎団」、「海港」、及び西洋バレイによる歌舞劇「紅色娘子軍」、「白毛女」及びピアノ伴奏歌劇「紅灯記」、ピアノ協奏曲「黄河」、交響楽「沙家浜」などを指している。

 これらの現代京劇と舞劇の一部は、既に文革前から創作されていた。江青による直接的な指揮の下で、「三突出」(すべての登場人物の中では肯定される人物を突出させ、肯定される人物の中では主要な英雄的な人物を突き出させ、主要な英雄的な人物の中では最も主要な中心的な人物を突き出させて描く)を指導原則(プロレタリア文芸創作において必ず守るべき原則)として、これらの演劇を忠実に改編し、中共イデオロギーの需要により符号するようにした。

 文革中、ほとんどの映画と演劇作品は毒草として上映や上演が禁止され、様板劇及び様板劇より改編された映画のみが合法的な文芸形式となった。文革の10年間、これら様板劇は全国で繰り返し上映され、全国の人々は半ば強制的ににれらの作品群を鑑賞し、学習するよう仕向けられた。今日40歳以上の中国人であれば、様板劇が心に刷り込まれるように記憶に残っているはずだ。

 様板劇はその創作から演出するまで、当時最も優秀な人材を集め、技術的なレベルにおいては確かに称賛する価値がある。しかし、様板劇は堂々と歴史の改竄、暴力の崇拝、怨恨の謳歌、伝統的価値観の転覆を行っており、中共の領袖や所謂「英雄人物」を無限に神格化し虚偽により宣揚しており、その下心が意味するところは明白である。

 そのように、その技術が精密であればあるほど、その危害はより大きくなる。文革後、様板劇は一時舞台から消えたが、様板劇に慣れた8億の人民が様板劇を復活させる土壌を提供した。

 今日に至っても様板劇の中の台詞の一部は、人々が興味津々に喜んで復唱している。そして一部の様板劇は、虚偽のまま「経典」として宣揚され、再び舞台で上演されたり、改編されてテレビドラマで放映されたりしている。様板劇の悪影響はいまだに残っていて、様板劇が注入した党文化は、すでに何代にもにわたる中国人の心の中で根を張り芽吹いている。

 今日の人々が様板劇のような宣伝方式を見ると、非常に簡単で粗末なものとして一目で見破ることができるので、人々の心理にはそれほど大きな影響は与えない。

 しかし、中共の宣伝は実際の状況に応じて変化する。80年代以前の中国人は、その生活と思想が比較的単純で、その大部分の人々が様板劇の中の楊子栄、阿慶嫂、李玉和、柯湘という登場人物のイメージが芸術的に誇張されていると認識しているが、それらが反映しているものは、顛倒され歪曲された歴史であることには、その大半が思い至っていない。

 文革後、演劇界の人材とその観衆たちは次々に老いていった。新しい媒体形式と新たな審美習慣が起こるにつれて、演劇は縁に追いやられ、中共の宣伝部門も従来のように再び演劇を重視することもなくなったのである。

 (続く)

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