【党文化の解体】第3章(15)

文革時代に『毛語録』を根拠に革命運動を行なう青年たち(大紀元)


【大紀元日本6月28日】

2.強制的に国民にマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン・毛沢東の著作を読ませる(下)

 第3に、マルクス、エンゲルス、レーニンの著作数は膨大で、文化水準が高くない人々に通読させるのは不可能である。そこでマルクス、レーニンの著作を読むことは、中国化したマルクス主義の代表・毛沢東の著作(毛の著作は、中共トップの座に君臨していた27年間に50億~60億冊発行された)を読むことに変わった。最初は『毛選』(毛沢東著作の抜粋本)、それから『毛語録』、さらに『老三篇』のように、徐々に読む内容が薄くなり、元々煩雑な主義は次第に簡単で粗暴な誤謬に満ちたスローガンに変わった。

 「マルクス主義の道理は膨大、多岐なものだが、概括して一言で言えば、つまり造反有理だ」というこの言葉は、文革大革命の時期によく使われていた。その時期に、次のようなおかしな一幕があった。夜中、人々は大音量の街頭放送に起こされ、「最高指示」(毛の語った短い言葉など)を聞かされた。店で買い物をする時、まず「私心と修正主義を批判しよう!」と言ってから、「この肉は一斤いくらですか?」と尋ねる。店員も「人民のために奉仕しよう!」と言ってから、「一角八分だ」と値段を教える。

 今日に至っても、中国の多くの地方で、壁に毛時代のスローガンが書かれているのを見かける。これらの標語だけから悲惨な現実は想像できないが、林昭、遇羅克から張志新まで、真剣に共産党に抵抗したこれらの人々の悲惨な結末は、まだ鮮明に我々の記憶に残っており、思い出せば身震いを禁じ得ない。残酷な現実を見慣れ、さまざまな運動に慣れた人々は、もう真剣に物事を考えず、ただ「真面目を装って言われたことを行なう」だけで、風向きを見て舵を取り、麻痺した心で無難に過ごすことを求めるようになった。

文革時代に『毛語録』を根拠に革命運動を行なう青年たち(大紀元)

第4に、度重なる政治運動に伴い、共産党は多くの書物を発禁、焼却処分にしたため、国民の精神生活は極度に貧しくなり、ただ中共に許可された少量の著作のみが閲読を許されていた。文化大革命が勃発して以後、中国の印刷工場は全て、『毛語録』や『毛選』を印刷することにやっきになり、正常な出版印刷は全て停止された。文革が発動されてからの数年間は、中国の出版事業は殆ど空白状態になった。大量の図書が「封建主義、資本主義、修正主義」のゴミと指定されて、古い書物は焼かれ、図書館は閉鎖され、書店はただ領袖の著作のみを販売していた。あの当時多くの家庭では、「紅宝書」(毛の著作)以外、殆ど書籍を置いていなかった。多くの良心犯、知識青年、下放の右派は、『毛選』を十数回、さらには数十回も読んだ経験がある。

 第5に、中共は教育分野に政治第一の指導方針を採ってきた。大学、高校、中学、小学校の教科書は、マルクス、エンゲルス、レーニンおよび毛の文章、或いはそれらを賛美する文章が充満していた。学校に通う人は、誰でも中共の洗脳と思想教育から逃れられない。多くの思想教育のための文章は、暗誦するように要求された。青少年の記憶力はよいものの、分析能力が欠けているため、小さい頃から多くの共産党のでたらめな理論を受け入れると、それはその人の観念と考え方の習慣を一生左右することになりかねない。

 半世紀近くの鋭意経営により、中共はマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛、_deng_、江および数多くの文化人の著書を用いて、中国の隅々まで覆うように網を張り巡らした。この網を構成するのは、数多の概念、判断、推理である。中共はこれらの概念、判断、推理を用いて、独自の方式で天、地、人、人類社会と人間の思想を解釈し、人々を真実世界との接触から徹底的に隔絶し、自然と人間性に基いた事物に対する認識と判断を徹底的にすり替えて、最終的に共産党の言い分だけを信じる人間を造り出せるようになった。今日、この肥大化した網は既に腐りきっているが、人々の思考方式は一定の習慣性があるため、一部の人々の思想はまだそれによって縛られている。ただ、『九評共産党』の伝播と党文化の解体とともに、人々は必ずこの網から完全に抜け出す日を迎えるに違いない。

『九評共産党』が広く伝播され、党文化は解体されつつある
(大紀元)

(続く)

関連記事