【党文化の解体】第2章(19)2「進化論の局限性」

10万年の歴史がある金属の花瓶
(写真=大紀元)

もし、進化論が正しければ、中間型の化石が簡単に見つかるはずだが、なぜいまだに見つからないのであろうか。人々は 「化石の記録が完全ではないから」というダーウィンの解釈を繰り返しているが、よく考えてみれば、化石は一定の確率に従って形成されているはずだが、どうして中間型のものだけが漏れているのか。

進化過程は「古代猿」→「類人猿」→「猿人」→「類猿人」→「ホモサピエンス」とされているが、「類猿人」の存在根拠はいまだに発見されていない。(イラスト=大紀元)

観察、仮説、検証という「三段式の論理方法」は、今日でもやはり、実証科学者たちが自然規律と抽象科学の定理を発見するために依拠する原則である。ダーウィンの『種の起源』は、前の2段階だけを完成した。最後の「検証」に関しては、その後の人が1世紀あまりにわたって努力を続けてきたが、今になっても、納得できるような結果がまだ得られていない。それどころか、現在の各分野での科学の進展状況と進化論自体の局限性から見れば、進化論の最後の段階を完成させることは、ますます望めなくなっている。             

(続く)

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