【党文化の解体】第2章(14)「政治闘争の中での洗脳教育」

全国民を闘争の対象にした共産党の「闘争哲学」。××批判闘争会:「白状した者は寛大に、抵抗する者は厳重に処分する」(イラスト=大紀元)

3-2)政治闘争の中での洗脳教育

 中共は闘争哲学に頼って政権を奪った後も、この哲学で統治を維持してきた。中共が次々に発動した政治闘争の中で、国民の闘争の思想は次第に強化された。その結果、もともと中庸の道を尊重し、和を大切にしてきた中華民族は、闘争を日常生活の一部分と見なし、人と人との間に満ちた不信感を社会常態と見なし、人々の間の争い、騙しあいを競争社会での生存手段と見なすようになった。

1951年、中共は政権を樹立して間もなく、足元を固めたばかりにもかかわらず、すぐ知識人に対する「思想改造」の運動を始めた。映画『武訓伝』に対する批判は、この運動の幕開けとなった。この運動はほぼ毛沢東の望み通り、知識人の思想を改造する目的を達した。

 これをきっかけに、中国人の考え方は大きく変化し、「階級闘争」のみが善悪を量る唯一の基準だと思うようになった。清朝末期に生活していた武訓は、貧しい家庭の子弟が教育を受けられるようにするために、乞食をして得たお金で学校を作り、様々な屈辱を嘗め尽くし、清貧な生活を送っていた。しかし、彼は「封建社会の経済基礎とその政治構造を壊そうとせず、かえって封建文化を熱狂的に宣伝していた」(毛沢東の言葉)として、階級の立場を間違えたということで、中共から嵐のように攻撃された。

 もう一人の歴史人物、明の時代の海瑞は権力を恐れず、公平に法律を執行し、清廉潔白で人々から敬愛されていたが、中共から見れば、海瑞は「搾取階級」に属し、「地主階級の利益を守っていた」から、庶民のために行った全ての良いことがいずれも、「統治階級を守るため」だと決め付けられ、文革の初期から強烈に批判された。

 さらに、国民政府が南京市で建てた「航空烈士共同墓地」に抗日戦争で亡くなった全国各地の100名以上の空軍烈士および、戦争の中で中国のために命を捧げた米軍教官、旧ソ連のパイロットらが埋葬されていた。これに対して中共は、彼らは「反動政府」のために働いたと決め付けて、文化大革命が始まってまもなく、毛沢東の紅衛兵は墓地を潰して、烈士らの遺骨は全部捨てられた。

 共産党は、闘争性は即ち革命性だと認識しており、対立と衝突は悪いことではなく、良いこととされてきた。なぜならば、これは「革命の種」だからである。歴史は闘争の中で前進してきたと考えている。(しかし、今日の中共は革命という言葉が使われることを恐れている)。しかし、闘争性は人間の先天的本性ではないため、共産党は人々の「革命の意識」を啓発する必要があり、絶えず「教育」を施し、革命の意識を高めなければならないと考えた。そのために、詐欺の手段で故意に対立と衝突を作り上げることも辞さなかった。

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