【党文化の解体】第2章(4) 「神佛の存在を否定する」

老子は『道徳経』の中で、天、地、人の自然法則を説いた
(イラスト=大紀元)

ただ事実はそうではなく、修道者の張道陵(即ち張天師)は、かつて三回も漢和帝から太傅(九品官制での正一品官)として招かれたが、これに応じず、ずっと鶴鳴山に隠居して修煉に励んだ。

 また、釈迦牟尼佛は、出家する前はカピラヴァスツ国の王子であり、その父親は彼に出家の決意を変えさせるため、大きな花園に囲まれた壮麗雄大な宮殿を造り、数百人の美しい宮女に歌舞管弦で仕えさせ、インドで一番の美女ヤショーダラーを妻に迎えさせた。しかし、釈迦牟尼の決意は変わらず、夜中に馬に乗ってお城から出て、山林に入って修行に励んだ。

 釈迦牟尼が佛に成就した後、最初に済度した56人のうち51人は豪族の子弟であった。彼が故国に戻って佛法を説くと、王族や豪族の子弟の中で500人の品貌端正な者が佛に随って出家した。

 この事実から見ても、出家は決して現実の苦難(感情失意や経済的困窮など)からの逃避行為ではなく、菩提心を発して慧剣をもって塵縁を断ち切る大志なのである。

 中共の政権が生まれる以前は、民間には神を信じる環境があった。佛教や道教の修行者は「法師」、「道長」、「高徳の僧侶」などと呼ばれ、品格者の象徴であり、人々の尊重の对象でもあった。王朝の皇帝でさえも高僧に遇えば礼遇し尊重したものである。

 ところが、中共は、政権を奪い取ると直ちに、民間で「社会発展史」の教育を強行推進し、神を信じる環境を破壊し、修行者を愚昧、無知、迷信、或いは宗教を利用して金儲けを企む者などとして描き出した。その結果、修行者の社会的地位は地に落ち、尊重される立場から大衆に嘲弄される対象に変わり、多くの出家者はこのような精神的な侮辱に耐え切れず還俗した。

中共は「佛教の経文が何だ。すべて犬の屁みたいなものだ」という横断幕を僧侶たちに持たせて批判集会を行なわせた(イラスト=大紀元)

「人は高い目標を目指して進む」。誰しも自分の名誉を惜しむ心があり、成功者の仲間入りをすることを望んでいる。中共は佛教、道教の修行者を失意者、さらには「搾取階級」として描き出し、神佛を信奉する人は迷信を信じた思想的落伍者だと宣伝することによって、民衆を信教者から離れさせようとした。

 (続く)

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