【新唐人2012年01月21日】
序文
文化は一つの民族の魂であり、人種や大地などといった物質的な要素と同じく重要な精神要素である。
民族の文明史はその民族の文化発展史でもあり、民族文化に対する徹底的な破壊は、その民族の消滅であるとも言えるだろう。人類の歴史上、す ばらしい文明を創り出した民族は、現在、その人種としてその子孫がまだ残っている.が、民族としてはその伝統的な文化が失われるにつれてだんだん姿を消し てしまった。世界各国を見ると、中華民族は唯一五千年の文明を受け継いでいる。それゆえ、その文化に対する破壊はさらに大きな罪となるに違いない。
「盤古は天地を開く」[1]、「女(じょか)は人間を造る」[2]、「神農は百草を嘗める」[3]、「蒼頡(そうけつ)は文字を造る」[4]などの伝説は神が文化を伝える当初の様子を私たちに伝えている。「人法地、地法天、天法道、道法自然(人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る)」[5]では、天人合一という道家の思想を文化に織り込み、「大学之道、在明明徳(大学の道、明徳を明らめるに在り)」。[6]二 千年前の孔子は初めて学校を開き、儒家思想を代表する「仁、義、礼、智、信」を社会に伝えた。紀元1世紀、「慈悲済度」を訴える仏教は東へと伝わって行 き、中華文化はさらに豊かになった。儒、仏、道三家の思想は互いに照り映し、盛唐時代、世界中の人々からそれぞれの素晴らしさが注目された。
中華民族は歴史上何度も侵略と打撃を受けたことがあるが、私たちの伝統的な文化は非常に強い融合力と生命力を持つため、その精華はずっと後 代に伝わってきたのである。「天人合一」は私たちの先祖たちの宇宙観を表し、「善悪には報いがある」は社会の常識で、「己所不欲、不勿於人(己の欲せざる ところ人に施す勿れ)」は人間の基本的な美徳であり、「忠、孝、節、義」は人々の人柄を為す基準であり、そして、「仁、義、礼、智、信」は人と社会の道徳 を規範する基礎である。このような前提の下で、中華文化には誠(実)、善(良)、そして和(貴と為す)、(包)容などの優れた特徴が顕われた。人々が祭る 「天地君親師」という位牌は、神(天地)を敬い、社稷(君王)に忠誠し、家庭(親)を大事にし、師道を尊敬するという文化が世の中の人々の中に深く植え付 けられていることを示している。中華伝統文化は天と人の調和を追求し、個人の修養を重視し、人々が包容でき、発展でき、人間の道徳が守られ、さらに人々が 正信を持つことができるように、儒仏道家の修煉信仰に基づいている。
人々を強制的に抑制する法律と違い、文化による抑制は柔和的で最も効果的なものである。法律は、罪を犯したら、どのような刑罰を与えるかと いうことを重んじる。しかし、文化は道徳を育成することにより、犯罪を予防するという役割を大いに果たしている。一つの社会の倫理価値観は、その文化を通 し、具体的に反映できたのである。
中国史上、伝統文化がその頂点に達した唐の時代は正に中華という国の国力がその頂点に達した時でもある。当時の科学技術も世界中で最も先端 に立っていた。そのため、欧州、中東、日本から多くの学生が唐の都である長安に留学した。また、唐の周辺の国々は中国を宗主国として見なし、万国からの使 者が中国に訪ねた。[7]秦の時代から、中国もよく少数民族に侵略されていた。その中に、ま た、隋、唐、元、清と他の民族がそれぞれ割拠していた時代もあった。しかし、それらの民族はほとんど漢民族化されたのである。「故遠人不服、則修文徳以来 之(遠きが故に人服せずば、則ち文徳を修するを以って之を来たらしむ)」と孔子が言ったように、これは、伝統文化の強大な同化力の働きであると言えるだろ う。[8]
1949年、中国共産党が政権を奪い取った後、国家のすべてをかけて私たちの民族文化を破壊し始めた。これは、共産党が工業化を進めよう、 あるいは西洋諸国と同等に並びたいという熱意からの行動ではない。そもそも、イデオロギーの面から言えば、共産党の理論は民族の伝統文化とまったく正反対 なものである。共産党の文化への破壊は実に、組織的に、計画的に、かつシステム化されたもので、国家暴力を基礎とするものである。共産党が設立されてから 今までは、中国共産党は中国文化に対する「革命」を停止したことがない。共産党は確かに中国文化の「命」を徹底的に抹消(革)しようとしてきた。
さらに、中国共産党はこっそりすりかえるという方法を使い、古代から今日まで、人々が伝統文化を投げ捨てた後に起こった権力をめぐる陰謀に 満ちた激しい戦い、独裁専制などをさらに広め、彼ら独自の善悪を量る標準や物事の考え方、言語方式を造り出し、人々に「党の文化」は伝統文化の継承である と認めさせた。また、彼らは人々の「党の文化」への反感を利用し、さらに中国真正の伝統文化を放棄させようとした。
これは、結果として中国に災難をもたらした。人々は道徳的な抑制を失っただけではなく、中国共産党に強制的にその邪悪な学説を注入されたのである。
一、どうして共産党は民族文化を破壊しようとしたのか?
(一)源は遠く流れは長いというほどの中華文化──信仰為本道德為尊(信仰を本とし、道徳を尊とする)
中国人の真正の文化は五千年前に黄帝によって造られた。そのため、私たちは黄帝を「人類と文化の祖」と呼んでいる。実は、黄帝は中国道家思想の「黄老之 学」の創始者でもある。孔子は「志於道、据於徳、依於仁、游於芸(道に志し、徳に据わり、仁に依り、芸に遊ぶ)」や、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可 なり」[9]と話したように、儒家思想は道家から強い影響を受けた。また、天地、陰陽、宇宙、社会と人生規律を記述する『周易』は儒家に「群経の首」と呼ばれた。その中の予測学は、現代の科学技術さえできないものである。仏家思想、特に禅宗思想は少しずつ学識者に影響を与えてきた。
儒家思想は伝統文化の中の「世に入る」という部分であり、家庭倫理を重視するものである。そのため、儒家思想の中には、「孝」という考え方がほとんどを占 め、曰く「孝は百善の先と為す」。孔子は「仁、義、礼、智、信」を主張すると同時に、「孝悌也者、其為仁之本歟?(孝悌は、其の仁の本なる歟?)」として いる。
家庭倫理は自然に社会倫理と発展した。「孝」は大臣が君主への「忠」と拡大でき、いわゆる「其為人也孝悌、而好犯上者、鮮矣、(其れ人にして孝悌を為し、而して上を犯す者鮮(すくな)し)」とも話していた。[10]
「悌」は兄弟関係を表し、それは友達の間の「義」へと広げられる。儒家は家庭の中において、父はやさしく(慈)、子供は親孝行を行い、兄は友好的で、弟は 恭しくなければならないと主張している。また、その中の「慈」は君主の大臣に対する「仁」に広げられる。「修身、斉家、治国、平天下(身を修し、家を斉し くし、国を治め、天下を平らげる)」と言ったように、家庭の中の伝統が保たれれば、社会倫理も自然に維持できる。[11]
仏家思想と道家思想は伝統文化の中の「世を出る」という部分である。仏、道教文化は普通の民衆生活への影響が至る所にあるというほど強いのである。道家思 想と深く関係しているのは、漢方医学、気功、風水、占いがある。そして、仏家の天国地獄、善悪に報いがあるなどという思想や儒家倫理を加えて、中国伝統文 化の核心を構成したのである。
儒、仏、道、この三種類の信仰は中国人に一つの極めて安定した道徳体系を造り上げたのである。「天が変わらなければ、道も不変である」。[12]この道徳体系は社会が存在し、安定でき、協和できる基礎である。
精神的な面から言えば、道徳はとても抽象的であるが、文化は人々にその道徳体系を分りやすく表現するという重要な役割を担っている。
中国に有名な書物が四冊ある。『西遊記』[13]自身は、神話である。『紅楼夢』[14]の冒頭の大荒山無稽崖で空空大士、渺真人や通霊宝玉の間の対話は、同作品における多くの謎を解く鍵である。『水滸伝』[15]の冒頭では、「洪太尉が誤って妖邪に走った」と話した。この神話は水泊梁山の百零八将軍の由来を説明している。『三国演義』[16]では始めに、天災が警告を示し、また、最後に「紛紛世事無窮尽、天数茫茫不可逃(紛紛たる世事は無窮にして尽きず、天数茫茫として逃がれる可からず)」いう天命観で結論を結んだ。また、『東周列国誌』[17]や『説岳全伝』[18]などはみな同じような物語で始めている。
これは、決して作者達が言い合わせたかのように書いたのではない。それは中国の学識者の自然界や人生に対する基本的な認識が同じだからである。彼らの作品 は後代の人々に大きく、しかも強い影響を与えた。そのため、中国人が「義」について話すとき、どのように「義」を解釈するかを考えるのではなく、「義薄雲 天(義薄くして天に雲)」と言う関羽(『三国演義』の人物)や、そして、彼に関連する「屯土山約三事(土山を屯して、三事を約す」、「白馬之囲(白馬の囲 い)」、「五関を過ぎ、六将を斬る」、「華容道」、最後に麦城で失敗して、「義不屈節、父子帰神(義節に屈せず、父子神に帰す)」などの物語を思い出すの である。「忠」について話すとき、自然に岳武穆が忠誠に国のために戦ったこと、諸葛亮「鞠躬盡瘁,死而後已(献身的に力を尽くし,死ぬまでやりぬく)」な どの物語を思い出すのである。
伝統的な価値観の中で「忠義」に対する賛美は作家たちが書いたすばらしい物語を通じ、人々の前に完全に現れている。抽象的な道徳説教は、文化の方式によって具体的に、また形象化された。
道家は「真」を、仏家は「善」を、そして儒家は「忠恕」、「仁義」、「外略形跡之異、内證性理之同、……無非欲人同帰於善(外略形跡異なれども、内証性理は同じ・・・人欲せずとも同じく善に帰す)」を重んじる。[19]これはまさに「儒、仏、道」の信仰に基づく伝統文化の最も価値のある部分である。
伝統文化の中で「天、道、神、仏、命、縁、仁、義、智、信、廉、恥、忠、孝、節」などを貫いている。おそらく文字を読めない人は多くいたかもしれないが、 彼らは伝統的な演劇や評書などの文化形式を通じ、伝統文化から価値観を得ることができた。従って、中国共産党による文化の破壊は、直接に中国人の道徳を破 壊し、社会を安定する基礎を破壊したこととなる。
(ニ)共産党の邪説は伝統文化と対立している
共産党の哲学は、中国真正の伝統文化と正反対である。伝統文化は天命を敬い畏れる。孔子は「死生有命、富貴在天(死生は命に有り、富貴は天に在り)」と考えている。[20]仏 家と道家思想は有神論であり、生死は輪廻し、善悪に報いがあると信じている。共産党は無神論を信じているだけではなく、無法無天と主張している。儒家は家 庭倫理を重んじているのに対して、共産党は『共産党宣言』の中で、家庭を消滅させるよう明確に書かれている。また、伝統文化では「明夷夏之辨(夷と夏の弁 え)((民族共存の教え))」と教えているが、『共産党宣言』は『民族消滅』と鼓吹している。儒家文化は「仁者は人を愛する」との教えに対し、共産党は階 級闘争を主張する。儒家の君王に忠誠し国を愛するという主張に対し、「祖国消滅」と『共産党宣言』の中に書かれている。
共産党は中国において確固とした政権を確立するため、まず人々の倫理思想を破壊しなければならなかった。毛沢東は「一つの政権を倒すために、まず世論を造り出さなければならない。つまり、イデオロギーの面でまず何かのことをしなければならない」と話した。[21]中 国共産党はそれをかなり理解しているようである。共産党の暴力的な理論は、武力に支えられており、西洋思想のゴミのようなものであり、中国の五千年の奥深 い伝統文化と対抗できないため、共産党は徹底的に中華文化を破壊したのである。そのため、マルクス・レーニン主義が中国の政治舞台に躍り出ることが出来た のである。
(三)民族文化は中国共産党の独裁を阻む 毛沢東は以前、「私は傘をさす僧侶である―無法(髪)(中国語では、髪と法の発音が同じ)無天だ」と話したことがある。[22]民族文化の存在は間違いなく、「無法無天」である中国共産党にとって最も大きな障碍だったであろう。
伝統文化の中の「忠」は決して「盲目的な忠」ではない。人々から見ると、皇帝は「天子」であるが、その上には「天」がある。皇帝は常に正しいとは限らない ので、そのため、皇帝の誤りを正す大臣や官員を必要とするのである。また、中国には史官が皇帝の言行を記録する信史制度があった。士大夫は「帝王の師と為 す」、皇帝の言行が良いか悪いかは儒家経典によって量られていた。また、人々は無道な皇帝を倒すこともできる。例えば湯が桀を伐ち武王が紂を伐ったことは 伝統文化の観点からも不忠不義には当たらず、大逆不道でもなく天に替わって道を行ったことになる。[23]文天祥[24]が捕虜となり宋朝の皇帝自ら降伏を勧めたがこれを聞かなかった。儒家では「民を貴と為し、社稷は之に次ぎ、君を軽と為す」と説くからである。[25]
これらのことは独裁中共にとって許されないことである。彼らは「主要な人物を神格化しよう」(即ち、個人崇拝)と願い、自分の上に存在する伝統文化の中に ある「天、道、神」などのものに束縛されたくなかった。それは、伝統文化での共産党の言行を量れば、全部極悪なものであり、伝統文化が存在する限り、人々 はその「偉大さ、光栄さ、そして正しさ」を賞賛しない。学識者たちは「命を捨て義を取る」[26]、「君を軽と為し、民を貴と為す」などの価値観を残せば、彼らに従うことをしないので、全民が「思想統一」することはないだろうと共産党自身も分かっていたのである。
伝統文化の天と地への敬畏は、中国共産党が天地と戦うための障碍である。伝統文化の中の「人命は天に関係している」という考え方は命を大切にすることを訴 えている。しかし、これは中国共産党の「集団虐殺」による恐怖統治を阻む。伝統文化の「天道」は道徳善悪を量る最終基準である。しかし、共産党には道徳を 解釈する言葉はない。そのため、中国共産党は伝統文化が彼らの政権維持にとって最大の障碍であると見なした。
(四)伝統文化は中国共産党の執政合法性に挑戦する
伝統文化の中には「有神論」と「天命論」を含んでいる。「天命」を承認すれば自分が「有道明君」であり、「奉天承運」を行っているとの証明になる。「有神 論」を承認すれば、まず「君の権力は神から授けられた」と認めなければならない。また、中国共産党の執政理論は「救世主など存在しない。人類の幸福を創り 出すのは、神仙や皇帝に頼るのではなく、私たち自分自身に頼るべきだ」と話している。[27]
中国共産党は「歴史唯物主義」を宣伝し、「共産主義」は「人間天国」であると宣揚した。また、この「人間天国」へ導くのは「無産階級先鋒隊」である共産党の指導である。有神論を認めれば、中国共産党の執政合法性に挑戦することとなる。
ニ 共産党はいかに伝統文化を破壊したか
中国共産党のすべてはその政治行政に使われていた。その暴政を維持し固めるために、共産党は邪悪な党性で人性を「偽、悪、争」という党文化により、中国伝 統文化と入れ換えた。この種の破壊と入れ換えは、文化遺跡や古書などの目で見えるものだけではなく、人の行為や思想、生活スタイルなどの面から、人々の伝 統的な価値観、人生観、世界観を変えた。しかし、一方、彼らは伝統文化の重要でない部分を「精華」と呼び、保留してきた。その「精華」を表面の飾りとし、 その中身に共産党文化をこっそりすりかえ、「中国の伝統文化を承継し発展する」というスローガンを揚げ、国際社会と人々を騙してきた。
(一)三宗教を同時に滅亡させる
伝統文化は儒、佛、道という三家の思想に基づくものなので、中国共産党が文化を破壊するまず第一歩は文化の具体的な体現である宗教を取り除くことである。
三教は歴史上、何回も破壊を受けたことがあった。例えば、佛教は歴史上、四回の大法難とも呼ばれる破壊を受けたことがある。歴史はこの四回の法難を「三武一宗」が仏を滅すると呼んでいる。北魏太武帝[28]と唐武宗[29]は道教を興すために佛教を滅したのである。北周武帝[30]も道教と佛教を共に滅したが、儒教を尊んだ。また、周世宗[31]は仏像を壊し貨幣を作るために佛教を滅したが、儒教や道教には何も触れなかった。
しかし、中国共産党だけが、この三つの宗教に対し滅亡させようとしていた。
中国共産党が政権を確立した当初、すでに寺を壊し経典を燃やし、僧侶や尼を強制的に還俗させたほか、他の宗教施設の破壊もずっと止めなかった。60年代には、中国の宗教施設はもうほとんど残っていなかった。文化大革命の時、「破四旧」[32](思想、文化、風俗、習慣の破壊)は宗教や文化への更なる災難であった。
例えば、中国最初の佛教寺院は洛陽にある東漢時代のはじめに建てられた白馬寺[33]であ り、「釈教の源で祖庭である」と呼ばれた。「破四旧」の時、白馬寺は同じく悲惨に破壊された。「寺院の隣に白馬寺生産大隊があった。党支部書記は革命をす ると言って、農民たちを白馬寺に連れて行き、千年前の遼の時代に土で造られた十八羅漢の像を壊し、二千年前にインドの僧侶が持ってきた貝葉経[34]を 燃やしただけではなく、稀世の宝とも呼ばれる玉の馬をもばらばらに壊した。数年後、カンボジアの亡命君主であるシアヌークから白馬寺へ参拝を希望され、周 恩来は慌てて命令を下し、北京故宮にある貝葉経と北京郊外にある香山碧雲寺から、清の時代に造られた十八羅漢を洛陽に運んで、やっとこの外交難題を解決し た。[35]
1966年5月、“文化大革命”[36]が始まった。この「革命」は確かに中国文化の命を革めることである。同年8月以降、「破四旧」の動きは中華大地の隅々まで広まった。寺院、道観、仏像、名勝遺跡、字画、骨董などは「封、資、修」として紅衛兵[37]たちが主に破壊する対象となった。例えば、仏像だけでも、北京の頤和園[38]万寿山にある一千尊瑠璃で造られた仏像の彫刻は、「破四旧」が終わった後、仏像は傷だらけになっていた。首都の北京がこのような状況であるから、他の地方も同じような状況となっていたに違いない。「山西省代県にある天台寺[39]は 千六百年前の北魏太延の時代に造られ、その彫刻や壁画はとてもすばらしく珍しいものであった。この寺院は遠くの地方に位置しているにも関わらず、「破四 旧」の関係者は当地へ行き、寺院にある仏像の彫刻や壁画を壊した。……陝西省の周至県県内に二千五百年前に老子が生徒に経文を教え、そこで道徳経を書いた という楼観台がある。……老子が当時経文を講じた「説経台」を中心とし、そこから十里[40](中国の距離を測るのに使う単位)以内には五十ヶ所の遺跡があるという。その中に、千三百年前に唐高祖李淵[41]が 老子のために建てた「宗聖宮」がある。しかし、楼観台などの遺跡は破壊され、道士たちは強制的にその場から退去させられた。道教の規則によると、道士は出 家後、髭を剃ってはならず、髪の毛も切ってはいけないという。しかし、多くの道士は無理やりに髪の毛を切られ、道士の服を脱がされて、人民公社[42]の 社員にされた。さらに、当地の農家の娘婿となったのである。……道家聖地とも呼ばれている山東省ラォ(山へんに勞)山にある太平宮、上清宮、下清宮、闘姆 宮、華厳庵、凝真観、関帝廟などは「神像、祭器、経文、文化遺品、廟の牌は、皆焼却された」という。……吉林市の文廟は全国四大孔廟の一つであるが、「破 四旧」により深刻な破壊を受けた。[43]
(ニ)法の特殊な破壊方法
レーニンは「最も簡単に要塞を攻め破るには内部から始めることである」と言った。中国共産党はマルクスとレーニンの後継としてよくこの言葉を理解している。
釈迦は『大般涅槃経』[44]の中で、彼が涅槃後、魔王が僧侶や尼僧に生まれ変わり、男女居 士と一緒に仏法を壊乱すると予言した。私たちは釈迦佛が具体的にどのような事を指しているか分らないが、しかし、中国共産党の佛教に対する破壊は僧侶から 始まったのである。その時、共産党はスパイを寺院に送り込んでいた。文革のある批判会で、ある人は当時の中国佛教協会副会長である趙樸初に「あなたは共産 党員だが、なぜ佛教を信じるのか」と非難した。
釈迦佛は「戒、定、慧」を通じ、無上の正等正覚に成就できたのである。それゆえ、涅槃に入る前、弟子たちに「護持禁戒。勿得虧犯。(禁戒を護持せよ。虧犯 を得ること勿れ)と教えた。また、「破戒之人、天龍鬼神。所共憎厭。悪声流布。……死即随業受地獄苦。経歴劫数、然後得出。復受餓鬼畜生之身、如是転転無 解脱期(破戒の人、天竜鬼神所共に憎み厭う。悪声流布す。・・・死すれば即ち業に随って地獄の苦を受け、劫数を経歴し、然る後に出を得る。復び餓鬼畜生の 身を受け、転々として解脱の期無きが如し)」と警告した。[45]
しかし、仏の警告は政治僧侶に無視された。1952年、中国大陸で「中国仏教協会」が設立された時、中国共産党は官員を派遣した。会議中、多くの信者は佛 教にある厳しい戒律が多くの若い男女の命を奪ったので、それらの戒律は取り除かれるべきだと主張した。さらに「信仰の自由、僧侶と尼僧は結婚すべきで、酒 を飲むことや肉を食べることは自由にするべきだ」と主張する人もいた。当時の会議に出席した虚雲法師は、戒律を変えられれば佛教は滅亡するということが分 かっていたため反対し、そして佛教の戒律や僧侶の服装を維持すると主張した。しかし、それによって虚雲法師は「反革命」の無実の罪を負わせられた。彼は方 丈室に監禁され、食べ物も与えられず、トイレに行くことも許されなかった。さらに、「黄金、白銀や什器などを出せ」と法師に強要した。虚雲法師が「持って いない」と答えると、軍部らは頭部から出血させ骨を折るほど激しく殴り、法師を床に倒した。翌日、法師がまだ死んでいないことが分かり、さらに残酷に殴り 始めた。当時、虚雲法師はすでに112歳だった。
1952年に成立した中国仏教協会と1957年に成立した中国道教協会は、その発起書の中に「人民政府の指導の下」、つまり「無神論」を持つ共産党の指導 の下で活動をすると明白に声明した。また、両協会は積極的に生産建設に参加し、徹底的に政府の政策を貫こうと話した。これは完全に世俗化された組織であ る。精進し戒律を守る出家の人々は逆に反革命分子とされ、「仏、道教の集団を浄化しよう」というスローガンの下、彼らは監禁され、労働改造され、しかも処 刑されたのである。甚だしくに至っては、西洋から伝わってきたキリスト教とカトリック教も同じようなことをされた。「1958年出版した『中国共産党が如 何にキリスト教を迫害したか』の中の統計によると、大陸の聖職者の中で「地主」「悪覇」という罪を負わされ、殺された人は、8840人にも達し、労働改造 をされた人は39200人、「反革命」分子として殺害されたのは2450人、その罪で労働改造をされたのは24800人にも達した。[46]
宗教は世を出る修行をする法門であることは明確であり、「彼岸」と「天国」を重んじる。釈迦はインドの王子であったが、静かに解脱[47]で きる方法を求めるために、王位を放棄し、森に入って苦修をしていた。イエスは成就する前に、サタンは彼を山まで連れて行った。そこで、サタンは天下の宝を 指してイエスに見せ、しかも「もしあなたが私に屈服すれば、私はこれらのものを全部あなたに与える」と言ったが、イエスはそれらの誘惑に騙されなかった。 しかし、中国共産党に協力した政治僧侶、政治牧師らは「人間佛教」「宗教は真理であるが、社会主義も真理である」と多くのでっちあげを作り、「此岸と彼岸 とは矛盾していない」というような言い方をする。彼らは、出家の人はこの世での幸福と富を追求するよう進め、従って、宗教の教義と内涵を変えた。
佛教は殺生を禁止する。中国共産党は「鎮反」[48]の時、数え切れないほど多くの人を殺した。政治僧侶らは「反革命者を殺すのが一番大きな慈悲である」といい、しかも、「朝鮮戦争」[49]の時、僧侶を直接戦場に送り込み殺生させた。
また、キリスト教を例にあげると、呉耀宗[50]が1950年に「自治自養自伝」と言う「三 自」教会を設立し、「帝国主義」を徹底的に離れ、積極的に「抗美援朝(抗米援朝)」(即ち、朝鮮戦争である)に参加しようと主張した。彼の友人が「三自教 会」への入会を拒否したため、二十年もの間監禁された。そのなかで、友人は多くの拷問にあった。友人は呉に「イエスの行い、神跡をどのように考えている か」と聞いた。呉は「私はこれらのものを全部捨てた」と言った。
イエスの神跡を認めなければ、イエスの天国を認めないことになる。では、その人はキリスト教の信者であると言えるだろうか? 呉耀宗はその後三自教会の創始者から政府の高官となった。彼が人民大会堂[51]に入った時、イエスのおっしゃった「心を尽くし、品性を尽くし、意を尽くして、あなたの上帝、主を愛してください。これは、命の中で第一のことで、最大のことであろう」「上帝のものは上帝に帰する。カエサルのものはカエサルに帰する」をきっと忘れたに違いない。
中国共産党は「寺院を没收し、洗脳を強化するため僧侶や尼僧にマルクス主義の勉強を強い、さらに僧侶と尼に肉体労働をさせた。例えば、浙江省寧波市に『佛 教工場』があった。その中に、25000人ほどの僧侶と尼が重い肉体労働を課させられた。さらに、中国共産党は僧侶や尼に結婚させようとした。これは佛教 信仰を完全に破壊した。例えば、1951年3月8日の婦人節の前、湖南省長沙市の婦人連合会は、全省の尼僧は決められた数日間の内に結婚するよう命令し た。そして、若い僧侶は軍に入れられて、戦場まで送られたのである。[52]
中国の各種の宗教団体は、中国共産党の暴力の弾圧によって完全に崩壊した。佛教界、道教界の真の修煉者は弾圧され、残りの人たちは還俗した。また、袈裟[53]、道士や牧師の服装を着ている偽者がたくさんおり、彼らは隠れた共産党員であり、佛教経典、道蔵、聖書を歪め、これらの経典の中に中国共産党が運動を行う理屈を探し出していた。
(三)文物を破壊する
文化遺産への破壊も中国共産党が伝統文化を破壊する重要な一部分である。「破四旧」において、多くの学識者が保存していた古本書や書画が燃やされたり、紙 くずのように破られたりしていた。章伯鈞の家には一万冊の書物を収蔵していた。しかし、これらの書物は紅衛兵たちによって彼らの体を温めるために燃やさ れ、また一部の書物は造紙工場に送られて、紙糊となった。「字画の『神医』と呼ばれる高度の技術を持ってすばらしい書画を修復できる洪秋声さんは、宋徽宗[54]の山水画、蘇東坂[55]の竹、文徴明[56]と唐伯虎[57]の 画などを修復していた。何十年もの間、彼が修復した古代の字画は数百件もあった。これらは全部国家一級収蔵品である。彼が大変な努力をして収蔵できた有名 な書画は、『四旧』と勝手に決め付けられて、火をつけられて燃やされた。その後、洪さんは涙を流して『百斤の書画が、長い間燃えていた』と言った。[58]
「人事有代謝、往来成古今、江山留勝跡、我輩復登臨……(人事代謝有り、往来古今成る、江山勝跡を留め、我輩復た登臨す・・・)」[59]
もし現代の中国人が歴史のことを少し思い出せば、孟浩然のこの詩をうたう時、違った味わいを感じるだろう。
「江山勝跡」は「破四旧」の時に壊され、しかも消えてしまったのだ。王羲之[60]が書き残し、千年も伝わってきた『蘭亭集序』[61]中の蘭亭は破壊されて、さらに王羲之の墓まで壊されたのだ。呉承恩[62](『西遊記』の著者)の生家も壊され、呉敬梓[63]の安徽故居も破壊された。蘇東坡が石碑に『酔翁亭記』[64]を書いたが、その石碑は紅衛兵らに倒されて、石碑上の字もナイフで削られた。
これらの中華文化の精華は数千年を通して積み重ねられてきたものである。一旦壊されると永遠に復旧できないだろう。しかし、中国共産党はその「革命」とい う口実で簡単にすべてを破壊した。私たちは以前、八国連合軍が「万園の園」である圓明園や、その中の巨著とも呼ばれた『永楽大典』[65]などを完全に燃された事実を聞いて嘆くが、中国共産党の破壊は侵略者たちの破壊と比べてより広く、より長く、より徹底的に行われていた事事を夢にも思っていなかった。
(四)精神面での破壊
中国共産党は物質面で宗教や文化を滅亡させようとした以外に、精神面でも信仰や文化への認識をできれば取り除こうとしていた。
例えば、中国共産党が回民族(イスラム民族)の習慣が「四旧」に属すると言い、強制的に回民族の人々に豚肉を食べさせようとした。しかも、回民の農家やモ スクの管理者に豚を飼わせ、各家庭は毎年ニ頭の豚を政府に渡すようにと命令した。しかも、紅衛兵らはチベット仏教のパンチェン・ラマに人の糞便を食べさせ た。さらに、ハルビンの最大の近代寺院である極楽寺の三名の僧侶に「何が佛教経典だ。全部でっちあげだ!」と書いた看板を持たせた。
1971年、林彪が逃げ出し、彼の乗っていた飛行機がオンドルカンで落ちた後、毛家湾で探し出した孔子語録は再び、全国的に孔子を批判する運動を起こした。「梁効」[66]が雑誌「紅旗」で発表された「孔丘という人」の中で、孔子を「虚偽でずるい政治詐欺師だ」と形容し、その後孔子を批判する漫画そして歌まで出てきた。
宗教と文化の荘厳と神聖は少しも残されず消されたのである。
(五)一人ひとりに及ぶ破壊
中国古代において、地方に対する中央の管理は県レベルまでで、それ以下はすべての管理をそこの宗族に任せていた。だから、始皇帝[67]の 焚書坑儒や、三武一宗の滅仏は上から下までの運動で、徹底的なものではなかった。その時、仏、儒の書物や思想は世の中に広く生存できる空間もあったからで ある。しかし、思春期の学生が中国共産党の煽動を従い行った「破四旧」は「自発情熱」からの草の根運動だった。当時社会を厳しくコントロールするために、 「それぞれの村に党の支部」が設置された。この「革命」を全国の隅々まで広め、一人一人に衝撃を与えた。
同時に、共産党のように、人々の心から最も神聖なもの、最も美しいものを取り除くために、暴力以外に歴史上でっちあげや人をひどく罵った皇帝は誰もいなかった。イデオロギー上の消滅は、単純に物質を消滅することよりさらに効果的で、より長く続けられるのである。
(六)学識者たちの改造
中国の漢字は五千年の文明の精華を集めたものである。字の形、字の発音や字で組み合わせられた熟語、物語は私たち民族の深い文化の内質を表している。中国 共産党は漢字を簡体化させた他に、ピンイン化を進めようとして、言語文字の中から文化にあるすべての伝統を取り除こうとしていた。その後、この計画は全く 実現されず、取りやめられた。しかし、伝統文化を受け継いだ学識者たちはそれほど幸運ではなかった。
1949年までに、中国にはおよそ200万人の学識者がいた。彼らの中に、西洋に留学した経験を持つ人がいるが、ほとんどの人はやはり儒家思想を受け継い だ。中国共産党は彼らを許さなかった。彼らは「士大夫」と呼ばれる階級の人で、彼らの思想は世の中の人々に大きな影響力を持っていた。
そのため、1951年9月、中国共産党は北京大学から一つの熱烈な学識者への「思想改造運動」を始めた。また、その基礎の上に、学識者に対して「まじめに以前の運動経歴を報告し、その中の反革命者を粛清しよう」と要求した。[68]
毛沢東は学識者を一番嫌っていた。彼は「彼たちは一つの真理を知らなければならない。それは、いわゆる学識者は実に一番無知な人であることだ。労働者と農民の人々が持っている知識はときに彼らより多いのだ。」[69]と、また「まだ改造されていない学識者を労働者や農民と比べ、学識者たちは精神だけではなく、その体もとても汚いのだ。手は黒くて、脚に牛の糞がついているかもしれないが、最もきれいなのはやはり労働者と農民だ」と話したことがある。[70]
中国共産党の知識人に対する迫害は、様々な形式の大批判会から始めた。1951年「行乞辨学(武訓は乞食をして集めたお金で学問所を開設した)」を主張する武訓[71]を 批判していたのをはじめ、1955年毛沢東が自ら胡風を反革命として定めるまでは、学識者たちはまだ大規模に弾圧を受けていなかった。しかし、1957年 にいくつかの伝統的な宗教への破壊がほぼ終わったころから、中国共産党はすぐに学識者に対する迫害を始めた。これが有名な「反右闘争」である。
1957年2月末、中国共産党は「百花齋放、百家争鳴」と言うスローガンを出して、学識者に対し政府に意見を出すようすすめた。しかも、提案する人は「言 者無罪」と言った。学識者たちは、中国共産党の起こした鎮反や粛反などの運動、そして政府が自分たちが全く分らないのに、科学、哲学、文化芸術などの領域 にむりやり命令を下したり、正しくない政策を建てたりしたことに対する不満を持っていたため、政府の「意見を言いなさい」という言葉を聞き、政府はこれか ら真剣に自分たちの話に耳を傾けてくれると信じ、以前自分達が言えなかったことをすべて話し出した。
歴史が過ぎた今、毛沢東が反右闘争を起こしたのは、学識者の言い過ぎた意見に腹をたて、反撃するようになったと思う人がたくさんいるが、事実はそうではない。毛が1957年5月15日に書き、党内の高いレベルにいる官員たちが読み回った『物事は変化している』という一文の中に、「最近この一時期、右派はかなり 気ままに行動している。彼らは中国で7度以上の台風のような激しい運動を起こし、共産党を滅亡させようとしている。」と話した。[72]そ れから、「大鳴大放」に興味がなかった各レベルの党の幹部はすぐ熱心に学識者たちの意見に耳を傾けるようになった。章伯鈞の娘が書いた『往事は煙のような ものではない』という回想録の中で、中国共産党統戦部部長の李維漢は自ら章伯鈞に電話をかけて、整風交流会に参加するよう招いた。章伯鈞が来てから、李維 漢は章を一番前にあるソファーに座らせた。章はこれが陰謀だと分らず、自分の意見をたくさん話した。「李維漢は父の話にうれしそうな様子だった。父は微笑 む李を見て、たぶん自分の意見に李も共感しているからだと思っていた。しかし、父が知らなかったのは、李は父に負わせる口実を見つけたから、微笑んでいた のだ。」と記述した。章伯鈞はその後中国のナンバーワンの右派とされた。この年、文書や講演で発表された批判や提案を見てみよう:章伯鈞の『政治設計院』、5月21日提出した;龍雲の『反蘇謬論』、5月22日提出;羅隆基の『平反委員会』、5月22日提出;5月30日林希は 北京大学で講演会を行った、題名は「中国共産党の封建社会主義を批判する」;呉祖光の『できれば党はあまり早く芸術界を指導しないように』、5月31日提 出;儲安平之『党天下』、6月1日提出。これらの文章はすべて毛が自分の文章を書き、根回しした後、発表された。つまり、意見を表明したものはすべてわな にはめられたのだ。
彼らは直ちに「右派」とされた。このような「右派」は全国で55万人にも上った。
中国伝統文化には、「士は殺してもいいが、決して恥ずかしめてはいけない」という精神がある。しかし、中国共産党は学識者に対して恥ずかしめるだけではな く、その恥を受けなければ、食べ物すら与えない。さらに、その人たちの子供も親たちと一緒に恥ずかしめられた。そのため、多くの学識者は屈服し妥協した。 また、自分を守るために、他人を暴露するようになった。実に、これらのことは人々の心をひどく傷つけた。一方、迫害をされても妥協しなかった学識者たちは 本当に殺されたのだ。
このように、伝統社会の道徳の模範でもあった「士」階層は消えてしまった。
毛沢東は「始皇帝もたいしたことはない、彼はただ460人の儒生を生きたまま埋めただけだ。しかし、私たちは46000人の儒生を生きたまま埋めたのだ。 私たちの鎮反(反動分子弾圧)は、反革命の学識者を殺した。私は民主主義を訴える人と論じたことがある。彼らは私たちを始皇帝だと罵っている。それは違 う!私たちは百倍も始皇帝を超えている」と言った。[73]
実は、彼は、儒生を殺しただけではなく、最もひどいのは、毛は彼らの信仰と心を殺したのだ。
(七)根本からすり替えられた表面文化
中国共産党が改革開放を実施してから、多くの寺院、道観、教会を建て直した。国内で祭りを行い、海外で文化祭を行った。これは実に、中国共産党の伝統文化 に対する最後の破壊と利用である。中国共産党は、人々の中にある「善良」を切り取ることができない。これは共産党の党文化を破産させられるのである。ま た、共産党は伝統文化を利用して、その「偽、悪、闘」という邪悪な本性を隠そうとしていた。
文化の根本はその道徳的内質であり、単に娯楽ではない。共産党は文化の表面にある娯楽の働きを回復させて、道徳が破壊された後の実質を隠そうとした。共産 党はいくら書画、骨董の展示会を開いても、獅子舞のある文化祭や特産物フェアーを開催しても、あるいは、すばらしい古典建築を建てても、これはただ単に表 面文化を回復させただけで、伝統文化の精華ではない。同時に、これらのイベントを通じて、海外に共産党の文化への認可を強めようとしただけである。実に、 かれらにとって、その権力と中国における統治を維持することが一番大事なのである。
例えば、寺院はそもそも静寂で出家の人が仏を拝み、修錬する場所であり、あるいは、世の人々が懺悔するところでもある。修行するには、静けさと無為を重ん じる。懺悔するにも、荘厳な環境が必要である。しかし今、経済の発展につれて、寺は旅行名所となった。今寺院に足を運ぶ人の中で、精進潔斎してから、仏を 敬う心を持って、自分の過ちを反省するために来た人は何人いるだろうか?
表面文化を回復し、その本質を破壊する。これは正に、共産党が人々を騙す戦略である。佛教や他の宗教や文化はすべて共産党によって滅亡させられた。
三 党文化
共産党は伝統の半神文化を破壊しながら、政治運動を通じて、自分たちの党文化を作り上げた。党文化は年取った世代を改造し、若い世代に害毒を与え、さらに 幼い世代に影響を与えた。その影響力は極めて深く、極めて広いものである。多くの人が共産党の本質を暴露しようとする時でさえ、共産党の善悪標準、考え 方、話し方を使う。
党文化はマルクスー・レーニン主義という外来文化に影響されていること以外に、中国人の数千年来積み重ねてきたよくないものも受け継いだ。例えば、宮廷闘 争、私利のために勢力グループを結合すること、人を打倒すること、人を騙して物事の本質を別のものとすり換えることなどがある。それらにまた、共産党の暴 力革命、階層闘争哲学を加えた。共産党は生き残るために、この数十年あまり「偽、悪、闘」と言う特徴を絶えず発展させた。
党文化の性質は専制と独裁である。共産党はその政治闘争、階級闘争をするために、主に四つの面から「人文」環境の専制を始めた。
(一)統治の面
1.封閉文化
共産党文化は封鎖的、独占的であり、思想、言論、結社、信仰などの自由はない。党の統治は人々への圧制と封閉で維持されている。一つの漏れがあれば、その統治システム全体が崩れてしまう。もし、「六四」天安門事件[74]の 時、学生が政府との対話が許されれば、他の労働者や学識者、軍隊の人たちが皆政府と対話したい、と言って来るかもしれない。そうなると、中国は民主主義に 変わるので、党の独裁統治ができなくなる。だから、彼らはたとえ人を殺しても、人々との対話を避けた。今、彼らはインターネットによる通信手段を封鎖して いる。それは、人々に共産党が見てほしくないものを絶対に見せないためである。
2.テロリズム文化
共産党が中国における政権を開始以来、絶えずテロリズムで中国の人々を苦しめてきた。かれらは、むちと人を殺す刀を用い、さらに人に災難を 与える方法で、人々の行動を「正した」。人々は恐怖の中で、やむを得ず「おとなしくなった」のである。かれらは、一人を殺して他人に見せしめにするという 方法で、民主運動家、自由思想家、共産党の体制を疑う人、また信仰を持つ各種団体を、厳しく弾圧している。
3.ネット上の監視文化
中国において、すべては党のコントロールの下におかれている。戸籍管理制度、街道住民委員会制度(即ち、各コミュニティーが当地の管党委員 会によって管理される制度)、各階層の党委員会がある。また、計画生育委員会もある。中国では、「各村において党の支部がある」とか、「党、共産党青年団 の生活をしよう」とか、「包保責任制度を固く貫く(官職の上の人が下の人に対して、『その人が党に対して何も怪しいことはしない』と言う保証をさせ責任を 持たせる制度である。もし、下の人が本当に党に対する反対思想を持っていれば、彼だけではなく、その上の人まで処罰されるのである)責任追及制度」とか、 「610オフィス[75]の監督課は、不定期に各地、各政府機関を監察する」ということをよく耳にする。
4.連座文化
「地主、金持ち、反共産党者、悪い人、右派とされる学識者」の家族に対して、共産党は「出身論」[76]の 提出から今日の「リーダが責任を果たしていないので対策が不十分で法輪功学習者が北京に来る、主なリーダは責任追及を実行し、評価を知らせろ。状況は重大 なので規律による処分を行う。」「一人でも(法輪功を)煉功したら一家全員失業させろ、従業員が一人でも煉功したら会社全てのボーナスは取り上げる。」な どと言いさらに“子どもに良い教育ができる”、“黒五類“などの差別政策を打ち出し、党と一致するよう提唱し「大義親を滅す」、人事、組織やファイルを通 じて地位を変える制度、「左遷制度」、「告発制度」、「手柄を立てて賞金を与える制度」がある。
(ニ)文化宣伝の面
1. 一言堂文化(全て口裏を合わせるやり口)
まず、中国において「最高の指示」「一つの言葉は万言に匹敵し、一言一言は真理である」という言い方がある。政府にコントロールされているマスコミは、何 かあると全部同じようなでっちあげをする。必要な時は、各レベルの党、政、軍、工、共産党青年団、婦人連盟などに支持発言をさせる。
2. 暴力文化を鼓吹する文化
「八億の人は、戦わなければどうなるというのか?」「殴られて死んだ人は犬死にだ」、「超限戦(あらゆる卑劣な手段を動員する戦い)」「原子力爆弾は張子の虎である、人口の半分が死んでも、後残りの半分が廃墟の上でまた新しい家を建て直すだろう」
3. 人の憎しみを煽動する文化
「階級の苦しみを忘れず、やっつけられた憎しみをしっかり覚える」と言うのは根本的な国策である。階級の敵に対する残酷さは美徳と見なされて、共産党は 「仇、憎しみを歯で細かく噛んで、それらを無理やりに呑み込もう。これで、仇への憎しみは心に入って少しずつ芽生える」という考え方を広めている。[77]
4. 虚言文化(中共の嘘の数々)
「『六四』天安門事件では、天安門広場で一人も死んでいない」「私たちはSARSを完全にコントロールできた」「今現在は、中国人権の最も良い時期だ」「三つの代表(最先端の生産力の向上発展、先進文化の方向性、中国人民の基本的利益の三つ党が代表すること)」。
5. 洗脳文化
「共産党がなければ、新しい中国は存在しない」、「私たちを指導してくれる核心的な力は中国共産党であり、私たちの思想を指導してくれるのはマルクス・レーニン主義である」[78]、「党中央政府と同じ位置を保つ」か、「理解できたものを執行する。理解できなかったものをも執行しなければならない。執行しながら理解を含めよう」。
6. 歯の浮くようなゴマすり文化
「天と地が広くても、極めて大きい党の恩とは比べられない」、「すべては党の手柄である」、「党は私にとって母である」、「命をかけて党中央を保護しよう」、「偉大で、栄光に満ち、正しい党」、「戦いにおいて負けたことのない党」など。
7. その場限りの文化
模範として、この人からあの人まで立てて、「社会主義精神文明をつくろう」「思想教育」などのキャンペーンを行うが、キャンペーンが終わると、皆は元に戻ってしまう。すべての報告会や読書会、心得交流会は皆いい加減にされてしまい、社会道徳は依然として低下していく。
(三)人間関係の面
1、嫉妬文化
「絶対平均主義」、「出る杭は打たれる」という言い方を宣伝する。能力のある人とお金持ちの人を嫉妬する。他人を嫉妬することは中国語で「赤眼病」[79]という。
2、人を踏みつけにする文化
「人と人が戦ったり、こっそり他人を密告したりする」こと、でっちあげ、偽の資料を作ることをすれば、積極的に進歩を求めている印であると見られて、党内において早く昇進できる。
(四)知らず知らずのうちに人々の内面の心理と外面の行動を規範化する
1.人々を機械化する文化
共産党は人々に対し「革命機械のさびない一本の釘になろう」、「党の言うことを聞き、党のおとなしい道具になる」、「党が指せば、そこへ戦 いに行こう」、「毛主席の兵士は一番党の言う事を聞く、どこかで人を必要とすればそこへいく、たとえどんな困難があるところでもそこに住もう」と要求す る。
2.是非を倒錯させる文化
「社会主義の草だけがいい、資本主義の芽なら取り除こう。」とか、銃で人を殺したのは「二十年の安定と取り替えるためであった。」とか、「己所不欲、要施於人(己の欲せざるところを人に施せ)」などがよく聞かれる。
3.自我洗脳を行い、絶対服従させる文化
「下級は上級に、全党は中央政府に服従しよう」、「利己的な考え方と戦おう」、「魂の深くまで革命を起こそう」、「党中央政府の政策に従おう」、「思想、歩調、命令、指揮を統一させよう」。
4.服従をよしとする奴隷文化
共産党はよく、「共産党がなければ、中国社会は混乱に陥るに違いない」、「このような大きな中国では、共産党以外、誰がこの国を仕切られる だろうか」、「中国という国が崩れれば、これは世界にとって災難になるだろう。だから、その指導を保つため共産党を応援しよう」と共産党はこのように人々 にその政権を守ることを説得している。長期的に、共産党に圧迫されてきた人々の言行は、恐怖と自己保護のため、共産党党員や共産党自身より左だと見える。
このようなことは数え切れないほど無数にある。中国の読者であれば、自身の体験の中でこのようなことを見つけ出せるだろう。
文化大革命を経験した人々は、きっと「白毛女」、「地道戦」[80]、「地雷戦」[81]な どの演劇やドラマなどを覚えているに違いない。これも、共産党が人々に対して洗脳を行う一種の方法である。このようなドラマは共産党の「偉大さ」、そして 党の戦士がいかに党に忠誠で党のために何もかもを犠牲にできるか、共産党はいかに困難に克服して戦ってきたか、敵たちはいかに愚かで残酷な人たちである か、というのを人々の頭の中に注入した。共産党は彼らの必要とする価値観を、毎日の宣伝を通して、一人一人に注入した。今、「東方紅」というミュージカル を再び見ると、その主題は「人を殺す」以外に何もない
同時に、共産党は彼ら特有の言葉を作った。この中に、批判するために人を罵る言葉、共産党の指導者を賛美するための虫ずが走るような言葉、官僚が使う意味 のない言葉があげられる。そのため、人々が話すと、すぐ「階級闘争」や「党への賛美」などの思惟方法に陥り、覇権的な言葉で理性的な道理を取り変える。ま た、宗教専門用語に対する乱用は、それらの語彙の本質を歪めた。
真理もさらに一歩進めれば誤りとなる。党文化はかなりの程度、伝統文化を乱用している。例えば、伝統文化の中の「信」は、共産党もよく論じるが、しかし、 彼らは「共産党を信じなければならない」と言っている。また、「孝」に対して、共産党は親の面倒を見ない人を捕まえて刑務所に入れるが、これは親孝行をし ないからではなくて、その人たちの親が政府の「負担」になったからだという。しかも、必要な時、親と子供は敵のようにならなければならない。また「忠」に 関して、伝統文化は「君軽民貴、社稷為重(君を軽んじ民を貴び、社稷を重きと為す)」を強調するが、共産党は人々に党への「愚かな忠誠心」を要求する。彼 らは「迷信といわれるほど信じ、服従するなら盲従せよ」と強く訴えている。
中国共産党の作った言葉はとても人を迷わせる力がある。例えば、共産党は共産党と国民党の間の内戦を『解放戦争』と呼び、人々を圧迫の中か ら解放させたという言い方をする。実は、1949年に建国したと言われるが、実に、中国共産党の前に、中国はもう存在していた。共産党はただ新しい政権を 作ったにすぎない。また、彼らは三年大飢餓災害を「三年自然災害」[82]と呼んでいる。これは自然災害ではなくて、全くの人災であった。しかし、私たちは毎日のように「三年自然災害」を聞いているので、知らず知らずのうちに慣れて何も疑問を持たなくなった。
伝統文化の中で、音楽を人々の欲を抑える方法として見なしていた。『史記』[83]の 中の『楽書』には、人々は生まれつき静かであり、しかし、外の世界と接触すると人々の感情が影響されて変わっていき、自分の心と智慧によって善し悪しの感 情を生じさせる、もし抑えないと、外部にある限りない誘惑と心に潜んでいる悪いものによって悪事を働いてしまう、だから、人々の欲を抑えるために先王は礼 楽を作ったと書かれている。音楽は「楽而不淫、哀而不傷(楽しみて淫せず、哀しみて傷めず)」であるべきだ。つまり、人々の感情を歌うが、人々の感情を同 時に抑制しなければならない。孔子は「詩三百、一言以蔽之、曰思無邪(詩三百、一言以って之を蔽えば、曰く、邪を思う無し)」と話したことがある。
このような美しいものは共産党が人々を洗脳するために使われている。例えば、「社会主義はよい」、「共産党がなければ、新中国はない」など の歌を幼い子供たちに教えて、大学生になっても歌わせるのである。共産党は伝統的かつ美しい民族音楽を使い、共産党を賛美する歌詞を入れ、それは伝統文化 を破壊すると同時に党のために利用することができる。
共産党はその経典である『延安文芸交流会における談話』の中で、文化と軍事を「文武は二つの戦線である」と述べ、銃を持つ軍隊だけでは足り ない、文化の軍隊も必要であると話した。また、「文芸は政治に服従する」、「無産階級の文学芸術は……革命機器の歯車とねじである」と定めた。これらのこ とによって、一つの「無神論」、「階級闘争」を核心とする党文化が作られた。この文化は伝統文化と全く相反するものである。
党文化は共産党が政権を奪い取るため、大きな力として働いたに違いない。軍隊、警察といった暴力機器と同じように、党文化は「文化暴力」というもう一種の暴力を提供した。この文化暴力は五千年の伝統文化を破壊し、人々の心を歪め、しかも、民族の結束力を壊した。
現在の中国人は、伝統文化をほとんど知らない。しかも、この五十年の「党文化」イコール中国五千年の文化であると見なしている。これは中国 人の哀れである。伝統文化を反対している人々は、自分たちが反対しているのは党文化であり、中国の真正の伝統文化ではないと言うことに気付いていない。
多くの人は欧米の民主主義を用い、中国の現行制度を変えようと希望している。実は、「主の前では皆平等である」を主張し、人間性と人の選択 を重視する欧米の民主主義は、キリスト教に基づく文化の上につくられたのである。共産党のような専制、且つ非人間性の党文化が民主制度の土台になるなどと いうことがあるだろうか。
結び
伝統文化は実に宋の時代から絶え間なく破壊を受けてきた。「五四」運動[84]以 降、自分の成功を急ぐ知識人たちは伝統文化への否定を試み、欧米文明の中から中国が発展する道を見つけ出そうとしてきた。しかし、その時、文化領域で起き た衝突と変化は学術上のものに限られ、国家暴力はなかった。中国共産党の出現は、文化的な衝突を共産党の生と死に関わる問題というレベルに高めた。よっ て、共産党は文化に対してばらばらに壊すという直接の破壊方法と、「その糟を取り、その精華を取り除く」、また、伝統文化への乱用という間接的な破壊方法 を用いた。
民族文化を破壊する過程は、「党文化」を建てる過程であった。共産党は人々の心の中にある良知を破滅させ、人々を伝統文化から離れさせようようとしていた。民族文化が徹底的に消滅される日は、私たちの民族が滅亡する日でもある。これは絶対に言い過ぎではない。
同時に、民族文化の破壊は私たちに予想もつかない物質的な災害をもたらした。
伝統文化は「天と地が一つになる」を強調している。だから、人間は自然と調和して生活すべきである。共産党は「天と地と戦うのが極めて楽し い」と煽動していたため、中国における自然破壊は党文化と直接関係する。たとえば、水。中国人は「君子は財を愛するが、それを取るには作法がある」という 伝統を捨てて、自然に対して狂ったように略奪と汚染を行ってきた。中国五万平方キロメートルの河のうち、四分の三は魚類が生息できないほど汚染されてい る。地下水の汚染度は十数年前にすでに三分の一を超え、現在依然と悪化し続けている。淮河で次のようなことが起きた。ある日、子供一人が油の浮かんでいる 河の中で遊んでいた。突然火花がその水面に落ち、直ちに高さ5メートルぐらいの火の柱が出てきた。その周りの木や草は全部燃えた。[85]こ のことから、そこで生活をしている人々が飲んでいる水はどれほど汚いか分かるだろう。その水を飲めば、癌をはじめとするいろいろな病気になるに違いない。 中国の西北地域では砂漠化、高塩化が進んでおり、工業化が進んでいる地域における汚染は、人々の心の中で自然に対する敬畏が失われたことと関係している。
伝統文化は命を敬うことを重んじる。共産党は「造反有理」や「人と戦うのが極めて楽しい」と宣伝した。革命の口実で、人を殺し、数千万の人 を餓死させた。また、命を無視したため、偽物、毒のあるものの流通が広められた。例えば、安徽阜陽では、生まれてきたばかりの赤ちゃんがある種の奇病に なった。それは、赤ちゃんたちがみな、頭が大きくなり、手足が短くなり、体が極めて細くて弱いという症状が出た。八人の赤ちゃんがこの病気で亡くなったの である。調査を行った結果、ミルクパウダーを販売する企業の責任者は金もうけのために、ミルクパウダーのなかに、なんと毒を入れたという。また、金儲けの ために、カニ、食用のカメ、蛇を養殖している人たちは、太らせるために刺激性のある薬を飲ませていた。あるいは、工業用のアルコールを混ぜて偽のお酒をつ くるとか、工業用の油でお米を精米するとか、工業用の漂白剤で小麦粉などを漂白するということが起こった。さらに、河南省のある県の企業は、ゴミになった 油、白土油といった癌細胞を生じさせる油で、「食用油」を生産していた。しかも、その企業は毎月千トン以上も生産していたという。これらの有毒食品はある 地域、あるいは、ある時期だけに限られたものではなく、実に全国普遍の現象である。これは、文化が破壊され、人々が道徳上の抑制を失い、物質的なものばか りを追求していると言うことに関係がある。
また、党文化は独占的で排他的なものである。しかし、伝統文化にはとてつもない大きな包容性がある。中国文化が盛んな唐代、佛家思想やキリ スト教や他の西洋宗教は皆道家思想、儒家思想と平和共存ができた。真正の伝統文化は西洋文化に対して必ず開放的で包容力がある。アジアの四つの龍と呼ばれ ている、経済が目覚ましく発展している国は「新儒家文化サークル」を形成した。彼らの経済発展は、伝統文化は非科学的なものではなく、その発展をも阻まな いと言う事実を証明した。
そして、真正の伝統文化は外在の物質ではなく、人の心から現れた喜びで人々の生活の質を量るのである。“先に誉れを受けても、後から貶められないとは限らない。肉体的には楽をしていても心に憂いがないとは限らない”。[86]陶淵明[87]は貧しかったが、でも楽観的だった。貧しい生活を送った彼は「菊を東の籬の下に採り、悠然として南山を見る」と言うゆとりの気持ちを表した。
実は、どのように生産性を高めるか、あるいは、どのような社会制度を用いるかは、みな文化が答える問題ではない。文化は道徳の面で、人を導 き、人の悪い言行を抑制するという役割を果たしている。真正の伝統文化への回帰は人々が天、地、自然を敬い畏れ、命を大切にして神を敬うという状態に戻す ことである。このようになれば、人々は天と地と平和に共存でき、健康かつ幸せに生活できるに違いない。
[1]盤古:人類上の初の生命と言われ、中国古代神話上の天地開闢の神。
[2]女:中国古代神話上の人類を造った女神。
[3]神農:(文字面から“天上の農民”と解釈する)中国古代神話上の、五千年前の伝奇的な人物。人間に耕作を教え、農業の創始者とされる。百種類以上の薬草(毒あるものも含む)、植物を口にして自ら薬効と毒性を確かめ、中国の伝統医学の創始者ともされる。
[4] 倉頡:中国昔の寓話と伝説の中の人物。黄帝の時の史官(歴史を掌る官吏)だそうで、中国文字の創始者とされる。コンピュ-タの倉頡漢字入力方法は彼によって命名された。
[5] 出典:《道徳経》。《道徳経》は老子が著作した道家の重要な経典の一つ。
[6]孔子の著作《大學》の前書き。
[7]出典:中国初めての主要な歴史学者司馬光(前145年~前85年)が 著作した《史記》。《史記》は遠古から歴史学者のいる時代までの中国および隣国の歴史を記載した。司馬光は歴史に対するはっきりとした叙述は、その後の二 千年以来各王朝の標準的な歴史を記録する範式になった。
[8]出典:孔子の《論語》。
[9]同上。
[10]同上。
[11]出典:孔子の著作《大学》。原文:身修而後家斎、家斎而後国治、国 治而後天下平。(身が修まった後にはじめて、身内の事情(家)に対しても公正(斉)に判断をすることができるようになる。身内の事情(家)に対して公正 (斉)に判断することができるようになって初めて、国が治まるのである。国が治まった後にはじめて、天下を平和にすることができる。)
[12] 漢の時代の儒家の思想家董仲舒(前179年~前104年)、著作《天人三策》の文章に “天不変、道亦不変”(天が変わらない、道も変わらない)と書かれた。
[13]《西遊記》は中国の四大古典名著の一つ(ほかに《三国志演義》《水 滸伝》《紅楼夢》がある)で、作者は呉承恩(1504年~1582年)。孫悟空という猿王に関する物語で、中国唐朝の有名な僧侶玄奘三蔵(602 年~664年)の経歴を元にした。玄奘三蔵は仏教経典を求め、仏教の発祥地(今日のインド)まで行脚していた。小説の中で玄奘の弟子として猿王、猪八戒と 沙悟浄は、玄奘を保護しながら同行して来た。西方に着くまでに81個の危険と災難に遭った。
[14]《紅楼夢》は清の時代の曹雪芹(1715年~1763年)が著作し た長編悲恋小説。一つの貴族家庭の没落を背景に、社会歴史の全体を生き生きと表現した。印象深く目が眩むほど多くの人物も描き上げた。中心人物は賈宝玉と 林黛玉。《紅楼夢》は広範的な表現、細かい構造、古典的な語法の文学の価値によって、中国古典小説の精粋として評価される。
[15]《水滸伝》は最も有名な中国古典小説の一つで、14世紀施耐庵が著作した。108人の英雄豪傑たちが梁山泊根城に集まり、弱きを助け、強きをくじいて大活躍する豪快な物語。
[16]《三国演義》は羅貫中が著作し、中国の有名な古典小説の一つで、三国時代(220年~280年)の歴史を舞台に、三つの強大な政治の勢力――劉邦、曹操、孫権は王位をめぐって演出した物語。その時代のさまざまな偉い才略と策略なども描写した。
[17]《東周列国志》は明の時代の余紹魚が著作し、明の末に馮夢龍が改編した。その後蔡元放が再び改編した。春秋時代(前770年~前476年)及び戦国時代(前475年~前221年)に亘る500年以上の歴史を描写した。
[18]《説岳全伝》は、清の時代の銭彩が著作した。南宋期の名将、中国歴 史上の愛国英雄岳飛(1103年~1142年)の一生を描写した。岳飛将軍は、北方に侵入してきた金国と勇敢に戦い、非常に優れていた。宰相秦桧は主戦論 を唱える諸将を除くため、岳飛を罪を着せ、牢屋に入れ処刑した。その後岳飛の罪が晴れ、記念のために岳飛の故郷でお寺を建てた。岳飛のお墓の前に、四つの 鉄で作った人像が立てられ、それらの人像は両手が後ろで縛って、跪いており、岳飛の死に責任を負うべき人たちを代表する。岳飛は中国文化の国に忠誠を尽く す模範にもなっている。
[19]出典:明の時代編纂された《道蔵》 摘要
[20][8]と同じ。
[21]出典:毛沢東の中国共産党代表大会第8期での講話
[22]毛沢東の中国語の原文は、掛け言葉を使った。和尚打傘――無法(法:中国語では髪の毛と同じ発音で、“髪の毛”の掛け言葉)無天(“空”の掛け言葉)
[23]桀は夏王朝(前16年~11年)の最後の皇帝で、紂は商王朝(前16年~11年)最後の皇帝で、どちらも暴君。
[24]文天祥(1236年~1283年)は、南宋朝期、軍隊を率いて、侵入してきたモンゴルの軍隊と戦う名将で、モンゴル軍に捕虜され、モンゴル人に降服しないため、1283年1月9日に殺された。
[25]出典:《孟子》
[26]出典:孟子の有名な言葉:「生亦我所欲也,義亦我所欲也;二者不可得兼,捨生而取義者也。(生がほしく、義もほしい;生と義を両立できない時は、生を捨て義を取る。)」
[27]出典:共産主義国際国歌。中国語の文面の意味としては:救世主など存在しない。人類の幸福を創り出すのは、神仙や皇帝に頼るのではなく、私たち自分自身に頼るべきだ。
[28]北魏太武帝拓跋壽(424年~452年)。
[29]唐武宗李炎(840年~846年)。
[30]北周武帝宇文(561年~579年)。
[31]後周朝世宗柴栄(954年~959年)。
[32]1960年代中期、中国文化大革命の時に使っていたスローガン。
[33]白馬寺は中国最古の仏教寺院で、68年(東漢(25年~220年)永平11年)に建てられた。
[34]貝葉経は、葉に書かれたお経のこと。貝葉はインド語でタ-ラという植物の葉で、厚くて、虫に強い。昔紙がまだ出来ていないころは、インドの祖先は、手紙や文章を葉に刻んで使っていた。
[35] 丁抒《幾多文物付之一炬》(どのくらいの文物も焼き払ってしまう)。
[36] 毛沢東の「文化界での独裁」。つまり古代の「封建主義への反対」、西洋の「資本主義への反対」、共産主義国家の「修正主義への反対」などを指している。
[37]紅衛兵は、文化大革命の時の最前線で活躍する執行者で、15、16歳の中学生が多い。
[38] 頤和園は、北京より15キロ離れ、中国最大で、最も良く保存された皇室公園で、800年以上の歴史を持っている。
[39] 天台寺は、中国の有名な道教の寺院で、“天国の下の最初に加護された場所”と言われる。天台寺は、終南山の北の山丘(周至県より15キロ離れた東南方)に位置し、西安より70キロも離れている。
[40] 里は中国の長さの計量単位で、1里は0.5キロに相当。
[41]唐高祖李淵(618年~626年)は、唐王朝の始めての皇帝。
[42]人民公社は1958年~1982年、中華人民共和国農村地区の三つの行政ランクの最も上のランクである。公社は、政府、行政、経済などの機能を果たし、最も集中的な単位で、さらに生産組、生産隊に分けられ、1982年以降は、村に取って代わった。
[43] 36と同じ。
[44]大乗仏教の大般涅槃経は、大乗仏教の最後の経である。佛は、世の中にいる最後の日に皆に伝授したもので、大乗仏教経の全ての精華を凝集した。
[45] 出典:大般涅槃経第1冊第7号。(ここでは一時的な訳で、更新する可能性がある。)
[46] 出典:百志《共産党鎮圧宗教的理論與実務(共産党が宗教を弾圧する理論と実務)》。 www.dajiyuan.com/gb/3/4/15/n300731.htm(中文)。
[47] 解脱(Mukti)は仏法の指導と伝承で、“緩める、解脱、救済、自由、開放、解放、束縛から解放して自由を獲得する、輪廻転生・業力・紛れ道・苦難から離脱する” などと訳する。解脱は涅槃が座禅より自由を獲得できること(輪廻転生から離脱すること)を意味する。
[48]反革命弾圧は、元の秘密結社のメンバー、宗教組織、1951年までにまだ残っていた国民党のメンバーを残忍にも処置した。
[49] 中国共産党が自称した“米国の侵略に対抗し、朝鮮を援助する戦争”は、1950年始まった。
[50]呉耀宗(1893年~1975年)は、他の人と共同で、所謂“新中国を建設するにあたって中国基督教の努力の方法”を発行し、三自創新宣言とも呼ばれ、その後三自教会を形成した。
[51]人民大会堂は、1959年に建てられ、天安門広場の西側に位置し、中国国家人民代表大会が会議を開催する場所である。
[52] [46]と同じ。
[53] 袈裟袍は、和尚の袍または伝道師が着る黑色の袍。
[54]宋徽宗趙佶(1100年~1126年)。
[55] 蘇東坡(1036年~1101年)は、中国宋の時代の有名な詩人、作家で、“唐宋八大家”の一人である。
[56]文徴明(1470年~1559年)は、中国明の時代の画家である。
[57]唐伯虎(1470年~1523年)は、中国有名な学者、画家、明の時代の詩人である。
[58] [35]と同じ。
[59]唐の時代の有名な詩人孟浩然(689年~740年)の詩より。
[60]王羲之(321年~379年)は、唐の時代の有名な書法家である。
[61]蘭亭集序原版は、王羲之が書法家としての全盛時期(51歳の時、353年)に書かれ、中国書法史上の最も重要な作品と公認される。
[62]呉承恩(1506年~1582年)は、中国明の時代の小説家、詩人で、中国の“四大古典小説”の一つ《西遊記》の作者である。
[63]呉敬梓(689年~740年)は、清の時代の作家で、《儒林外史》の作者である。
[64]欧陽修(1007年~1072年)は、“唐宋八大家”の一人で、“酔翁”と自称。
[65]永樂大典は、明王朝の永樂皇帝が1403年に学者に命じて作らせ た。世界一番古い、偉い百科全書で、2000人の学者が携わり、8000冊の古代から明王朝の初期までの書籍を収納した。1408年に完成し、22000 冊の手で書き写した巻があり、総体積は、40立方メートルにも達した。
[66] “梁効”は、文化大革命期に成立した紅衛兵や論文執筆グループで、周一良氏も加入していた。彼は加入した後、昔の友達から “極端の恥” と書いた匿名手紙が届いた。
[67] 秦始皇(前292年~210年)政 は、中国史上はじめての皇帝で、法典、文字、重量単位、度量衡を統一し、長城を建てることを命じた。これは、中国の歴史と文化に深く影響した。また儒家と 道家などの書籍を焼き払って、460人の儒学者を生き埋めた。“焚書坑儒”と呼ばれた。彼は自分のために、巨大なお墓を作った。その兵馬俑は世界の八大奇 観の一つになっている。
[68]出典: 1949年~1976年毛沢東語録第2冊。
[69] 出典:毛沢東《修正党的工作型態(党の工作形態を修正する)》(1942年)。
[70] 出典:毛沢東《永安文芸論壇的談話(永安文芸論壇における談話)》(1942年)。
[71] 武訓(1838年~1896年)は山東省生まれ、幼い時、父親を失い家計がとても苦しかった。彼は乞食をして母親を養い、とても親孝行の乞食だと皆に知られている。母親が死んだ後、乞食は生活の唯一の方式になり、乞食をして集めたお金で無料の学校を開設した。
[72]出典:毛沢東選集(第5冊)《物事は変化している》(1957年)。
[73] 銭伯城、東方文化、第4版(2000年)。
[74]六四学生運動は、民主改革を提唱する大学、専門学校の在校生は、1989年4月15日~6月4日に発起した。その後、人民解放軍に弾圧され、国際で“六四大屠殺”と呼ばれる。
[75]専門的に、法輪功を弾圧する部門で、党の各レベルの行政部門と他の政治管轄システムなどを凌駕する権利を有する。
[76]“出身論”( 血脈または家系)は出身の家庭の階級は一人の本質を決めると主張する。
[77] ミュージカル“紅燈記”より摘録した。“紅燈記”は、文化大革命期(1966年~1976年)の人気のあった政府側の典型的な演劇である。
[78]中華人民共和国第一期全国人民大会第一会期(1954年9月15日)の開幕式における講演。
[79]中国には「紅眼病」という諺がある。お金持ちや権力者に対する嫉妬や羨望が広がっていることを指す。ここでは、他人が自分より良いと見ると、不公平に思い、嫉妬することを指す。
[80] 地道戦、1965年上映した白黒映画で、中国共産党が自称した「1940年代中国中部にいる共産党の遊撃隊員は、地下の通路を利用して、日本の侵略者と戦う」物語を演じた。
[81] 地雷戦、1962年上映した白黒映画で、中国共産党が自称した「1940年代中国中部にいる共産党の遊撃隊員は、河北省で地下道を掘り、日本の侵略者と戦う」物語を演じた。
[82]1959年~1961年の大凶作は人類史上最大な大凶作で、非正常死亡者は3千万人から4千5百万人であると言われる。
[83] [7]と同じ。
[84]五四運動は中国現代史上の初の民衆運動で、1919年5月4日より始めた。
[85]陳貴利、淮河の警告(1995年)。
[86]出典:“唐宋八大家”の一人の韓愈の《送李源帰盤古序》。
[87]陶淵明(365年~427年)、陶潜とも言う。中国東晋時代の詩人である。
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