『共産党についての九つの論評』 【第一評】共産党とは一体何ものか【動画】

序文

5000年来、中華民族は黄河と長江が育んだこの地に生まれ、生活し、数十の王朝を経て、輝かしい文明を築き上げてきた。その間、栄枯盛衰を繰り返しながら、怒涛の如き壮大なる、感動の絵巻を展開してきた。

アヘン戦争が起きた1840年は、歴史家の間では中国近代史の始まりであり、中国が中古の世紀から近代化へ向かう出発点であると考えられている。それ以来、中華文明は四度の挑戦とそれに伴う対応を経験した。初めの三度はそれぞれ、1860年代初期の英仏連合軍の北京への侵攻、1894年の日清戦争、そして1906年の中国東北地方における日露戦争が、大きな引き金となって形成された挑戦であった。そして、それらの挑戦に対する中国の対応は、器だけの導入(つまり、精神的なものは取り入れず、科学技術だけの導入、即ち洋務運動)、制度の改良(即ち戊戌の変法[1]と清国の立憲)、ならびに後の辛亥革命[2]であった。

第一次世界大戦後、戦勝国である中国の利益は、列強たちによって考慮されることはなく、当時の多くの中国人は、初めの三度の挑戦に伴う国内の対応は全て失敗であったと考えた。その結果、五四運動[3]が起こり、そこから第四の波、つまり最後に残った一面での対応が始まったのである。それは、文化面での全面的な西欧化であり、その後極端な革命、即ち共産主義運動が始まったのである。

この社説が関心を寄せるのは、最後の一波に対する中国の対応の結果として生まれた、共産主義運動と共産党である。160年余りの間、1億人に近い人々の不正常な死とほとんど全ての中国の伝統文化・文明を代償にして、中国が選択したもの、言い換えれば中国が押し付けられたものは、一体どのような結果であったのかを分析してみようと思う。

一 暴力による恐怖によって政権を奪取し維持する

「共産党員は自らの見解と目的を隠しごまかすことを潔しとしない。彼らは、自分たちの目的は、暴力によって全ての現存する社会制度を覆して初めて達成できると、公然と宣言するのだ。」[4]『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)は最後にこのように締めくくられている。暴力は、共産党が政権を奪取する手段であり、最も主要な手段でもある。これは、この党が生まれた日に決定付けられた第一の遺伝子で、以後も受け継がれている。

世界で最初の共産党は、実はマルクスの死後数年を経た後、ようやく生まれたのである。1917年の10月革命の翌年、ソビエト共産党(ボルシェビキ)が正式に誕生した。この共産党は、「階級の敵」に対して暴力を振るう中で生まれたものであり、同時に仲間内(即ち裏切り者)に対する暴力の中で存在を維持してきたのである。ソビエト共産党の内部粛清の過程で、2000万人以上ものスパイ、裏切り者、異分子が殺害された。

中国共産党は成立当初、ソビエト共産党のコントロール下にある第三コミンテルンの一支部であったため、当然のこととしてこの種の暴力の伝統を受け継いだ。1927年から1936年のいわゆる第一次国共内戦の時期、江西省の人口は二千万人余りから一千万人余りにまで減少しており、その災いの激しさの一端を見て取れる。

仮に、政権を奪取する戦争において暴力が避けられないとしても、共産党のように平和時においても依然として暴力を好む政権は、世界にかつてなかった。1949年以降、中共が暴力によって殺害した中国人の数はなんと、それ以前の三十年近い戦争時期の死者数を超えているのである。

この点で程度が特に甚だしかったのが、中国共産党が全力で支持したカンボジアのクメール・ルージュで、政権奪取後、なんと全国民の4分の1が殺害され、その中には多くの華人と華僑も含まれていた。その上、中共は今に至っても、国際社会のクメール・ルージュに対する公開裁判を阻止している。それは、もちろん、中共がその中で果たした役割、つまり、悪辣な役どころを隠し続けるためである。

指摘しておくべきことは、世界各地に割拠する最も残虐な武装勢力と残虐政権もまた、中国共産党と密接な関係があるということである。クメール・ルージュ以外に、インドネシア共産党、フィリピン共産党、マレーシア共産党、ベトナム共産党、ミャンマー共産党、ラオス共産党、ネパール共産党等も全て中共が一手にその設立を支持したもので、それぞれの党の指導者の多くが華人であり、その一部は現在中国国内に身を潜めている。

また、世界で毛沢東主義をその宗旨とする共産党には、南米の「輝ける道」や日本の「赤軍」も含まれており、それらの残虐な手口は同様に世の人々に知られ、唾棄されているところである。

共産主義理論の源の一つは、進化論である。共産党は種の競争を社会が進化する過程での階級闘争に当てはめ、階級闘争こそ社会が発展進歩するための唯一の原動力であると考えた。このため、闘争が、共産党が政権を獲得し生存を維持するための主要な「信仰」となった。毛沢東の名言「8億もの人口がいる。闘争なくしてどうやって機能するのか」は正にこの種の生存論理の表明といえる。

この表明と同様に有名なのが、毛沢東のもう一つのことば、文化大革命は「7、8年に一度は必要だ」[5]である。暴力の反復的使用は共産党政権が統治を維持するための重要な手段であり、その目的は、恐怖を生み出すことである。毎回の闘争運動はいずれも共産党の恐怖訓練であり、人民は内心びくびくしながら服従し、恐怖の奴隷となるのである。

今日、テロリズムは文明と自由世界の第一の敵となった。しかし、共産党の暴力テロリズムは国家がその担い手であり、規模はさらに大きく、持続時間は更に長く、効果はいっそう顕著である。二十一世紀の今日、われわれは共産党のこの「暴力」の遺伝子が、適当な時期に必ずや共産党の未来に決定的な作用を果たしうるということを忘れてはならない。

二 虚言を以って暴力の潤滑剤と成す

人類の文明の程度を測る基準の一つに、暴力が制度の中で果たす作用の割合がある。共産政権社会は明らかに、人類文明の大きな後退である。しかし、共産党は意外にも、かつて世の人々にそれを進歩であると思わせることに成功した。彼らは、暴力の使用は、この種の社会が進歩するには必要かつ必然の過程であると考えたのである。

これは、共産党が虚言や欺瞞を比類なきほどに上手く運用した結果であると言わざるを得ない。このことから、欺瞞と虚言が共産党のもう一つの遺伝子であるといえる。

「幼いときから私たちは、アメリカが特に親しみの持てる国であると思っている。それは、ただ単にアメリカが中国の土地を占領したことがないからだけではなく、中国に対して侵略戦争を発動したことがないからである。更に根本的には、中国人のアメリカに対する好感は、アメリカの国民性から発散される民主的風格と豊かで広い心にその源を発している」

これは中共の中央機関紙『新華日報』が1947年7月4日に発表した社説であるが、わずか3年後には、中共は北朝鮮に派兵し、アメリカと武力衝突することになった。そして、アメリカ人を世界で最も邪悪な帝国主義分子として描くことになったのである。中国大陸からやって来た人は皆、この50年前の中共の社説を見て、一様に大きな驚きを感ずるであろう。そのため、中共は、そうした以前の類似の文章を引用した関係書籍を取り締まらなければならなくなった。

中共が政権を打ち立てて以来、反革命分子の粛清、公私共営、反右派闘争、文化大革命、六四天安門事件、法輪功(ファルンゴン)の弾圧において、いずれの場合も同じ手段が採られた。その中で最も有名なのが、1957年、中共が知識人らに、中共に対して意見を述べるよう呼びかけ、その後それを手がかりに「右派」を捕えた事件である。それは陰謀であると指摘されたとき、毛沢東は、それは陰謀ではなく「公の謀」だと公言して憚らなかった。

虚言と欺瞞は、これらの権力を奪取し、それを守る過程で極めて重要な役割を演じてきた。古来より、中国知識人層の最も重要な信仰の一つが歴史である。中国は世界の中でも詳細な歴史記載が最も長く、最も整っている国であるが、それは、中国人が歴史に基づいて現実を判断し、更にはそれによって個人の精神的昇華を果たそうとするからである。このため、歴史を隠し歪曲するということも中国共産党の重要な統治手段となった。早くには春秋戦国時代から最近の文革までの歴史が全般に亘って隠されたり、歪曲、改竄されたりした。それはこの五十年来絶えず行われ、その上、歴史の本来の面目を取り戻そうとするあらゆる試みに対しては、容赦なく封鎖、抹殺が行われた。

暴力が足りず、覆い隠したり飾り立てる必要があるときには、欺瞞と虚言が登場する。虚言は暴力のもう一つの一面であり、暴力の潤滑剤である。

これは別に共産党が発明創造したことではなく、昔からあるごろつき行為を共産党が堂々と使用したにすぎないということを認めなければならない。中国共産党は、農民に土地を与えると約束し、労働者に工場を与えると約束し、知識人らには自由と民主を与えると約束し、平和を約束したが、その約束は現在一つとして果たされていない。ある代の騙された中国人が亡くなると、その次の代の中国人が引き続き虚言のとりこになる。これは中国人の最大の悲哀であり、中華民族の不幸である。

三 絶えず変化する立場と原則

今年のアメリカ大統領選挙のテレビ討論の際、ある候補者が次のようなことを言っていた。人はしばしばある問題に対する見方を変えることがあるが、決して問題を見る原則を変えてはならない。そうでなければ、その人は信頼できる人ではない。[6] この話は大いに示唆に富んでいる。

共産党が正にその典型である。中国共産党を例にとると、結党以来80年間で開かれた16回の中共全国代表大会において、なんと党規約を16回も修正し、政権奪取後の50年で中国憲法を5回も大きく修正した。

共産党の理想は社会の公平であり、最終的には共産主義を実現することである。しかし、今日、共産党が統治する中国は、すでに世界で貧富の差がもっとも甚だしい国となり、しかも党と国の高官たちは、8億の貧しい人々を犠牲にして、巨万の富を持つボスとなった。

中共の思想は、最初のマルクス主義に毛思想を加え、更に鄧理論を加え、最後にまた三つの代表理論が加わった。そのうち、マルクス・レーニンと毛沢東の主義・思想と、皦理論ならびに江沢民の代表理論は互いに全く関係がなく、相反するものであり、その差は極めて大きいにもかかわらず、中共はそれらを同じ神棚に並べてひれ伏している。なんとも、古今の一大奇観である。

共産党は当初、祖国を持たず、全世界に大同の世を打ち立てようとしたが、今日では極端な民族主義になった。又あらゆる私有財産を没収し、全ての搾取階級を打倒しておきながら、今日では資本家を入党させようとしており、その基本原則が一貫していないのは言うまでもない。共産党が政権を発展させ維持してきた歴史において、昨日まで堅持していた原則を今日放棄し、明日また改変するといったことは、これまでに何度もあった。しかし、如何に改変しようとも、共産党の目標は明確である。それはつまり、政権を奪取し維持することであり、社会権力の絶対的独占を享受することである。

中共の歴史における、いわゆる十数回に上る「生きるか死ぬか」の路線闘争は、はっきり言えば、その立場と原則を改変したときの内部抗争に他ならない。

立場と原則の改変は、いつも中共の合法性と生存が回避できない危機に直面したとき引き起こされたものだということを説明しておかなければならない。国共合作、親米外交、改革開放、民族主義の推進は、どれ一つとしてそうでないものはない。しかし、どの妥協も全て、権力の奪取あるいは安定のためであり、弾圧と名誉回復の周期的循環も、この理由によって発生しなかったものはない。

西欧のことわざに曰く、真理は堅持されなければならず、虚言は永遠に変化する。なんと当を得たことばであろうか!

四 党性(党是)が人間性に取って代わり、人間性を消滅させる

中国共産党はレーニン主義の、つまり権威主義的政党として、結党時に、政治路線、思想路線、組織路線の三大路線を確立した。平易なことばでこの三大路線を説明するならば、思想路線とは共産党の哲学的基礎であり、政治路線で目標を確立し、その後厳格な組織でこの目標を実現するのである。

共産党員ならびに共産社会の人民がまず求められるのは、絶対的服従であり、これがいわゆる組織路線の全てである。

中国では、人々は、共産党員は普遍的に二重人格の特徴を持っているということを知っている。個人としては、共産党員は普通の人間性を持っており、一般人の喜怒哀楽を具えているし、普通の人々と同様、長所も短所も持ち合わせている。彼らは、父親であり、夫であり、親友である。ところが、これらの人間性の上に、共産党が最も強調する党性(党是)が君臨しているのである。党性(党是)は、共産党の求めるところとして、永遠に普遍的な人間性を超越して存在するものである。人間性は相対的、可変的であるが、党性(党是)は絶対的で、疑いや挑戦を受けるべきものではないのである。

文化大革命時、中国人は父子が互いに傷つけ合い、夫婦が互いに闘い、母と娘が互いを告発し、教師と学生が反目するということが普通に存在した。それは党性(党是)が作用したからである。早期には、中共の高級幹部の家族が階級の敵として弾圧されても、その高級幹部自身どうにも救いようがないという事例が更に多く見られたが、それらも同様に党性(党是)の作用であった。

この種の党性(党是)は共産党組織の長期にわたる訓練の結果であり、その訓練は幼稚園から始まる。幼児教育において、与えられた模範解答が常識や児童の人間性に合わないとしても、それがいい成績を得るための基準なのである。小・中・高、ひいては大学の政治教育において学生が学ぶことは、党が与えた模範解答に従わなければならないということであり、さもなければ、合格も卒業もできないのである。

党員は、いくら個人的にどんな意見を述べようとも、一旦党員として態度表明するときには、必ず「組織」と一致しなければならない。この組織は、下から上へと統一され、最後にはこの巨大な集団のピラミッドの頂点まで統一していくのである。これが共産党政権の最も重要な構造的特徴、つまり絶対的服従である。

今日、中共は完全に自身の利益を擁護する政治集団に変質し、もはや共産主義の追及する目標をなくしてしまっている。ところが、組織の原則は変化しておらず、絶対的服従という党性(党是)要求にも変化がないのである。この党は、全ての人類ならびに人間性の上に君臨するという方式で以って存在し、党の組織または指導者に危害を及ぼす、もしくは及ぼす可能性があると考えられる一切の人々は、その人が一般人であれ、中共の高級指導者であれ、即座に排除されるのである。

五 自然に反し、人間性に反する邪悪な生命体

天地万物はみな生成衰亡の生命の過程を持つ。

共産党政権とは異なり、全ての非共産党政権社会は、それが如何に独裁的、全体主義的であれ、社会には自然発生的な組織や自主性が存在するものである。中国の古代社会は、実は、二元構造であった。農村は宗族を中心とする自然発生的な組織であり、都市は同業組合を中心とする自然発生的な組織であった。そして、上から下への政府機構は、県レベル以上の政府関係機関の事務を管理するだけであった。

近代において、共産党以外の最も厳格な全体主義社会、例えばナチスドイツは、それでも私有財産権と私有財産を保持していた。ところが、共産党政権においては、これらの自然発生的な組織と自主性は全て徹底的に排除され、上から下への徹底的な集権構造がこれに取って代わった。

前者の社会形態を、下から上への自然発生的に成長した社会状態であるというならば、共産党政権は自然に反した社会状態であると言える。

共産党の中では、普遍的な人間性の基準はなく、善と悪、法律と原則が随意に移り変わる基準となってしまった。人を殺してはならないが、党が認めた敵は例外であり、両親には孝行しなければならないが、階級の敵となった両親は例外であり、仁義礼智信を重んじなければならないが、党が願わないときは例外である。普遍的な人間性は完全に覆され、だからこそ共産党は人間性に反するのである。

全ての非共産社会の多くは、人間性に善と悪が同時に存在するという現実を認めた上で、固定した契約によって社会のバランスを生み出している。ところが、共産社会は人間性を認めないため、人間性の中の善も悪も認めないのである。これらの善悪の観念を一掃するということは、マルクスのことばに従って言うなら、旧世界の上層建築を完全に覆すということである。

共産党は神を信ぜず、自然の万物も尊重せず、「天と闘い、地と闘い、人と闘い、その楽しみは尽きず」、大自然と闘い、人をほしいままに傷つけるのである。

中国人は天と人が一体であることを重んじる。老子のことばを借りれば、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法って」[7]おり、人と自然は連続した宇宙の状態なのである。

共産党もある種の生命ではあるが、それは自然に反し、天に反し、地に反し、人に反しており、宇宙に反する邪悪な生霊である。

六 邪悪な憑き物の特性

共産党組織それ自身は、別に生産や発明創造には従事せず、一旦政権を取得すれば、国民の体に付着し、人々を操りコントロールし、社会の最小単位をコントロールしながら権力を保持し、権力を失わないようにする。そして同時に、社会の富の源を独占し、社会の財産資源を吸い取るのである。

中国では、党組織が存在しないところはなく、党組織に管理されていないところもない。ところが、人々は中国共産党組織の財政予算を見たことがなく、目にするのは、国家予算、地方の政府機関の予算と企業の予算だけである。中央政府から農村の党委員会まで、行政役人は永遠に党の役人より地位が低く、政府機関は同レベルの党組織の命令に従う。党の支出は、均しく行政部門の出費の中から支払われることになっており、独自に支出するということはない。

この党組織は、まるで巨大で邪悪な憑き物のようである。それは、影が寄り添うように中国社会の一つ一つの細胞に付着し、細かいところにまで入りうる吸血管で、社会の一本一本の毛細血管と一つ一つの細胞の奥深くにまで入り込み、社会を操りコントロールしているのである。

この種の奇怪な憑き物構造は、人類の歴史上、社会の局部では現われたことがあるし、社会全体にも短期間現われたこともあるが、共産党社会のように徹底的に長期にわたって、しかも安定的に持続した例はこれまでになかった。

中国の農民がかくの如く貧しく苦しんでいるのは、彼らが伝統的な国家役人の分を負担しなければならないだけではなく、国家役人と同数あるいはそれ以上に多い“憑き物役人”の分も負担しなければならないからである。

中国の労働者がかくの如く大規模に失業しているのは、至るところにある吸血管が長年にわたり企業の資金を吸い取り続けているからである。

中国の知識人が、自由を得るのがかくの如く難しいと感じるのは、管轄の行政機構以外に、至るところに存在するにも拘わらず何もせず、専ら彼らを監視している影があるからである。

憑き物は、取り付いた人の精神を完全にコントロールし、自身の存在を維持するためのエネルギーを獲得しなければならない。

現代政治学では一般に、社会の権力には暴力、富、知識の3つの源があると考えられている。共産党は、暴力を独占し、それをほしいままに使用し、人民の財産を剥奪し、最も重要なこととして、言論と報道の自由を剥奪し、人民の自由な精神と意思を剥奪することによって、社会の権力を完全にコントロールするという目標を達成するのである。この点から言って、中共というこの憑き物の社会に対する厳密なコントロールは、古今東西その右に出るものはいない。

七 自己を反省し、中国共産党の憑き物から逃れる

マルクスは1848年、共産党の最初の綱領文書となる『共産党宣言』の中で、「一つの亡霊、即ち共産主義の亡霊がヨーロッパをぶらついている」[8]と書いた。100年後、共産主義はすでにただ単なる亡霊ではなく、真に具体的な物質的実像を具えたのである。この亡霊は、前世紀の100年の間に伝染病の如く全世界にはびこり、数千万人の人々を虐殺し、億万の人々の財産ならびに彼らの本来自由であった精神と魂を奪い去ってしまった。

共産党の当初からの原則は、全ての私有財産を没収し、その上で全ての「搾取階級」を消滅させることである。個人に属する私有財産は、民衆のすべての社会権利の基礎であり、多くの場合、民族文化の担い手としての重要な部分でもある。私有財産を剥奪された人民は必然的に精神と意思の自由も奪われ、最後には社会的、政治的権利を勝ち取るための自由をも失ってしまうのである。

中国共産党は、自らの生存の危機のため、前世紀の80年代から経済改革を始め、人民の財産権利を部分的に返還した。それは、共産党政権という巨大で精密なコントローラーに最初の穴を開けたということでもある。この穴は、今日ますます大きくなり、共産党の役人全てが狂ったかのように、己のために人民から富を搾取するまでに発展した。

この暴力と虚言によって自己の外見を絶えず変化させてきた邪悪な憑き物は、近年その衰退した兆しがことごとく表に現われ、すでに鳥が弓の音におびえ、鶴が風の音におののくように、ほんの些細なことにもおびえるようになった。そこで、更に狂ったかのように、富を搾取し権力をコントロールすることによって自らを救おうと試みるのだが、それが却って、危機の到来を更に激化させることになっている。

現在の中国は、繁栄したように見えて、実は社会の危機がすでに空前のレベルにまで累積しており、中共の習性に倣えば、再度過去の手口を使うかもしれない。つまり、再度、ある程度の妥協をして、六四天安門事件の当事者や法輪功(ファルンゴン)などの名誉回復を行うとか、ごく少数の敵を作り出し、暴力による恐怖の力を振るい続けるといったことである。

中華民族は、100年余りにわたり直面してきた挑戦の中で、器の導入や制度の改良から最後の極めて激しい革命まで、無数の生命を犠牲にし、民族文明の伝統を大部分失ってしまい、それが失敗であったということが証明された。その後、全人民の恨みと憤懣の中、邪悪な生命体が虚に乗じて入り込み、ついにはこの世界で唯一依然として古い文明を継承している民族をコントロール下に置いたのである。

未来の危機の中で、中国人は再度選択することを余儀なくされる。どのような選択をしようとも、中国人ははっきりと認識しなければならない。この現存する邪悪な憑き物に対する全ての幻想は、中華民族の災難を加速させるものであり、体に取り付いた邪悪な生命にエネルギーを注入することになるということを。

唯一、全ての幻想を放棄し、徹底的に自己を反省し、決して恨みや貪欲な欲望に左右されないようにして初めて、この50年もの長きにわたり憑き物にうなされ続けた悪夢から完全に抜け出し、自由な民族の立場で、人間性を尊重し普遍的ないたわりの心を持った中華文明を再建することが出来るであろう。

[1]戊戌の変法、1898年6月11日から9月21日までの間行われた約 100日間の改革のことである。当時清朝の光緒皇帝(1875〜1908)は社会と制 度の全面的改革を目指し、一連の制度改良を行った。改革と対立しているのは頑固な保守派高官達で会った。超保守的な人達及び日和見主義者(御都合主義者)である袁世凱の暗黙の支持の下、西太后(慈禧太后)は1898年9月21日、にクーデターを企んだ。改革熱心な若い光緒皇帝は強制的に皇帝の座を退かされた。西太后は摂政として政府を乗っ取った。戊戌の変法は新しい勅令及び改革を唱導するトップ6人の処刑によって廃止された。

[2]辛亥革命、中国の辛亥年(1911年)から由来する。辛亥革命により、中国を 統治した清朝が倒れ、中華民国が建国された(1911年10月10日〜1912年2月12日)。

[3]五四運動、中国の近代歴史に於ける最初の大衆運動である。1919年5月4日 に起きた。

[4]http://eserver.org/marx/1848-communist.manifesto/cm4.txtより引用。

[5]毛沢東が妻江青に宛てた手紙(1966年)。

[6]http://www.debates.org/pages/trans2004a.htmlより引用。

[7]老子の道徳経第25章より抜粋。

[8]http://eserver.org/marx/1848-communist.manifesto/cm1.txt より引用。

転載大紀元、新唐人

【第一評】共産党とは一体何ものか
【第二評】中国共産党はどのようになり上がったのか 
【第三評】中国共産党の暴政
【第四評】共産党は宇宙に反する
【第五評】法輪功への迫害における江沢民と中国共産党の相互利用
【第六評】中国共産党による民族文化の破壊
【第七評】中国共産党の殺人の歴史
【第八評】中国共産党の邪教的本質
【第九評】中国共産党の無頼の本性

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